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「高麗のほうへ」展;酒盃 伊羅保刷毛目 通次廣
¥24,200
《解説》 今回「高麗茶碗」をテーマにするということで、かねてからインスタを通じてその迫真に迫る高麗ぶりに感心していた通次さんに、ダメ元で出品を打診してみた。インスタにアップされる高麗物の数々は、「なり、ころ、ようす」のすべてが本物と見紛うばかりで、高麗物をレパートリーとする数少ない作家のなかでも群を抜く腕前と見た。御本人とはまだお会いしていないし、作品も端末の画面を通してしか観ていなかったので、危険な判断といえなくもないが、それだけでも、この方の作品の強度は十分感じることができた。ありがたいことに快く承諾頂いて、送られてきたこの伊羅保を拝見して、自分の確信が間違いではなかったことを改めて確信した。本文で最も訴えたかったのは高麗茶碗のもつ「形式」だが、この作品には疑いなくそれが備わっている。こういう器が本物の高麗茶碗たちに混じれば、いかなる厳しい篩にもかかることなく、いつのまにか本物たちの仲間になるのだろう。 伊羅保はそのザラザラとした土肌がイライラしている感じから名づけられたといわれる。日本人が朝鮮半島に注文してつくらせた茶碗の代表格で、祭器としての「原高麗」ではないが、好みのうるさい茶人たちが茶席に合うようその特徴を集めてデザインされているから、いってみれば良いとこ取りの高麗アンドロイドである。伝来する伊羅保は、その造形が比較的おとなしめのものからかなり暴れているものまで幅広いが、通次さんのこの作品は、どちらかといえば後者に属する。とりわけ、がっしりとした高台から胴部のつくりに続く口縁の暴れ方が何ともいい。口縁に不規則なヘラを廻らせて変化のつけられた山道は伊羅保の造形のまさに醍醐味。小石の混じった粗い土肌や伊羅保釉を半身にしか施さないことによる片身替わりもいい。見込みの刷毛目も素敵なアクセントになっている。まさに良いとこ取りのアンドロイドだ。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径8.3㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;小井戸盃 古松淳志
¥15,400
SOLD OUT
《解説》 本文で、日本の茶人たちは高麗茶碗の冷え枯れた風情に惹かれて、それを茶席に導入したと述べた。古松さんのこの作品を観ていると、その当時の高麗茶碗の侘び様はいかにもこんなだったろうと思う。高麗青磁系を含めて広く高麗物に取り組むこの作家は、幾世代も経て伝世される本物たちのこうした風情をとらえるのが実にうまい。風情もまた「ようす」としての「形式」のひとつだとすれば、高麗茶碗には欠かせないたいせつな要素だといえる。 小井戸は、文字通り、所謂井戸に相当する大井戸よりもサイズが小さめだからその名がある。とはいえ、実際には「老僧」や「上林」のように大井戸と大きさがさして変わらないものもあるので、一概にそういえないところが高麗茶碗の「名分」の難しいところである。おそらく、まだ分節化される前は一様に井戸と呼ばれていたはずで、降矢哲男氏によれば、その中の小さめのものを小井戸と呼びはじめて、その後それがさらに青井戸や小貫入に分かれていったのではとされる。残されている井戸から判断するに、大井戸は、井戸のきまり、たとえば、梅華皮、ろくろ目、枇杷色、たっぷりとした碗形等を満たす正統派で、小井戸はそれから少し外れる規格外の特徴をもったものという見方も可能かと思う。 その意味で、古松さんのこの小井戸は、大井戸の規定にない諸々の表現を備えている。小さめで三日月形をした高台、何んともいえず中途半端な梅華皮、立ち上がり切らない胴の湾曲、口縁のべべら、いずれも大井戸からすれば規格外だが、逆にそれが高麗茶碗の大事な魅力でもあるからこれもまた不思議なところである。しかも、作家の神経はこれら細部の表現にまで行き届いていて、この作品をいっそう小井戸の「形式」に迫るものにしている。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.7㎝×高さ4.4㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》御注文から1週間以内に発送いたします。
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「高麗のほうへ」展;蕎麦脇盃 古松淳志
¥15,400
《解説》 「蕎麦」ではなく「蕎麦脇」である。「脇」という語は「井戸脇茶碗」という分類があるように、井戸とは呼べないがその脇にあってもおかしくない出来のものという意味。古松さんは本来もっと違った発色を狙ってられたようだが、それとは違うものの思っていたよりも面白い表情に焼きあがった。これはこれで良いとの判断から今回の出品にいたった。だが、厳密にいえば蕎麦とは違うので「脇」をつけて作品化した。作家が蕎麦の「形式」を厳格に意識されている証拠である。だが、「脇」は「脇」でも確かにいい。 他の多くの高麗物と同じく、蕎麦の名前の由来はわからない。「そば」かすのような肌合いをしているから、とか、井戸に風合いが似ているから井戸の「そば」ともいわれるが、そばかすはいかにもこじつけっぽいし、井戸のそばならそれこそ「井戸脇」でいいだろう。より大きなくくりでいえば、蕎麦や斗々屋は、三島や粉引などの粉青系の釉薬をごく薄くかけたもので、それが土とあいまって、片身替りやグラデーションなど、微妙な色彩の濃淡をかもすところが見どころのひとつ。粉青よりもよほど枯れてみえるのも、古来この手の茶碗が侘び茶人たちに好まれた理由だろう。平碗の部類に入るが、腰のところが出張った独特のかたちもこの茶碗の特徴のひとつ。柿の蔕と並んで伝世する蕎麦茶碗は少なく、稀少種の部類に入る。 古松さんのこの作品を「脇」とした器の発色は、むしろ、このほうがわれわれがふだん食べ親しむ蕎麦の色に近くて、いかにも蕎麦というにふさわしい。釉薬の濃淡から生まれるグラデーションや土の表情、粉引でいう「火間」もあって、しかも高台周りには微妙に梅華皮みたいな様子もみえて、とにかく見どころの多い作品である。さらに、見込みには、蕎麦には不可欠な鏡落ちや目跡もしっかり押さえられていて、どこから観ても楽しい器である。こんな渋い蕎麦という形式を選んで下さった古松さんに改めて感謝である。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径9.0㎝×高さ3.6㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》御注文から1週間以内に発送いたします。
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「高麗のほうへ」展;志野井戸酒盃 山田洋樹
¥24,200
《解説》 長いこと志野に接してきた者からすれば、それが井戸の形をまとっていると少し違和感を覚える。本文でも言及したように、志野はその製法も形式も純和製で、間接的に高麗茶碗の影響を受けているとはいえ、やはり基本形は碗形ではなく半筒型だからである。萩で茶碗の形を分類するのに「井戸形」か「楽形」に極まるという話も本文で触れたが、志野は明らかに後者の部類に属する。志野において、その造形のあらゆる可能性が追求された結果として、あれだけの半筒のヴァリエーションが生まれた。違和感の出どころはそこにある。 ただ、例外はあって、割高台を下敷きにしたと思われる「朝陽」や、天目形を模した「蓬莱山」が辛うじて想いつく。実際、山田さんはこれらを意識した作品も手がけている。これらに対しても、やはり違和感は払拭し得ず、何か不思議な感じを覚えるわけだが、それでも、ひとついえるのは、筒型をベースとしていなくとも、それは志野以外のやきものにはならないということだ。たとえば「朝陽」が割高台の形をしていても、それは割高台というよりもやはり志野と呼ぶにふさわしい。つまり、志野の衣とその中身のいずれの印象が強いかといわれれば、衣装のほうが前面にくる。「蓬莱山」も、だから、天目を連想させるどころか、やはり少し違った形の志野にしかみえない。 山田さんのこの作品を観て、改めてその思いを強くした。やはり志野という衣装の強度はとてつもなく大きい。作家はろくろ目やべべらや三日月高台など、高麗茶碗に特有の表現に忠実で、しかも土味も粗く、衣装を着ていなければまさに高麗という造形を実現している。ところが、それほど意識してもその豪奢な衣装を打ち消すことはできない。この作品の場合、その衣装が桃山を真正面から追求している志野であるだけになおさらである。それでも、「朝陽」や「蓬莱山」が志野の名作として残っているように、この井戸形もまた、当然のことながら、そのオルタナティヴとしてあっていい。別様にいえば、志野の表現域が山田さんのこの作品とともにまた広がった。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.8㎝×高さ4.3㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;鼠志野井戸酒盃 山田洋樹
¥22,000
《解説》 「これまで青やグレーばかりだったので、黒っぽい鼠志野にしてみたいと思って。」と山田さんはいう。確かにこの方の鼠志野は、鬼板と長石釉が美しく発色した明るめの作品が多い。だが、実は「桃山の黒っぽい鼠志野が好き」なのだという。高麗茶碗のイメージが作家を明るい色から黒に引き寄せた。今回出品頂いている白い志野と比べると、同じ井戸形でありながら、ずいぶん印象が異なる。白のほうは、解説でも書いたように、井戸の形をまといながら志野の表現域にあるのに対して、こちらは、色が反転したことで、グッと高麗のほうへ近づいている。とくにこの作品は、今回出品頂いた井戸形のなかで最も大井戸らしいたっぷりとした碗形をしていて、それがさらに高麗っぽさを強調している。正面の白い窓があたかも白刷毛のようで、刷毛目のイメージとも重なる。 志野は白い器を求めてつくられたという。白磁の技術がない時代、やきものは基本土色だった。単純に考えると、土の色を白くするのは至難の技だが、美濃の陶工たちは長石を使って白い釉薬を発明し、器を白くすることに成功した。そこに鬼板で絵や模様を描いて志野という様式を確立する。いっぽう、粉青もまた鉄分の多い土に白泥を塗って白い器を実現した。そこに象嵌や刷毛を施して三島や刷毛目が生まれる。白い志野がポジだとすれば、器胎に鬼板を塗ってそれを削って絵や模様を描く鼠志野はネガの関係にあるが、鉄分の多い地肌に白い化粧を施すという意味では、鼠志野が粉青の雰囲気に近くなるのは当たり前というべきだろう。 とはいえ、本作の「ようす」は志野の表現を極めている。作家は志野を絵や模様で魅せるスタイルをとらない。土や釉薬から醸される色合いをむしろ大切にして、変化に富んだ色彩の志野を追求する。この作品では、鬼板の塗り具合や長石の掛け方を敢えて一様でなくすことによって、様々な色彩、あるいはグラデーションで井戸の衣装をこしらえた。そこに志野特有のピンホールや粗い土に由来する石ハゼが景色として加わって、高麗志野ともいうべき特別な世界を確立している。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.4㎝×高さ4.6㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;鼠志野井戸酒盃 山田洋樹
¥22,000
《解説》 今回の企画は、今年の春先から構想されて、夏には実現するはずだったが、遅れに遅れてはや年末である。作家の皆さんにはたいへん御迷惑をおかけしたが、山田さんからは、律儀にも、夏前に「まだ大丈夫ですか?」との問い合わせを頂いた。悪びれもせず、全然大丈夫ですよ、とお返ししたが、作家は自分の納得のいく作品を仕上げるまでまだまだ時間が欲しい様子だった。その後何度か延期のやりとりをしたが、その度に「助かります。次の窯でもう一度焼いてみます。」と、かなりの試行錯誤を重ねているようだった。他の皆さんもそうだが、これほど思いを込めて取り組んで下さる姿勢に感謝というより、逆に恐縮するほどである。その分、寄せられる作品に負けないような文を書くべく力が入るものだから、よけい日程がずれ込んだ。 企画をアップするおおよその日取りが決まって、山田さんから送られてきた作品を拝見して、何度も窯を焼いたそのこだわりがそこに結実しているのを実感した。とくにこの作品の表情には、土と釉薬と炎との凄絶な格闘の痕跡がよく見て取れる。この作品もまた黒を狙った鼠志野だが、作家による土、鬼板、長石釉のコントロールと、炎の偶然が醸すその複雑な表情は、露わになりかけた土肌から長石釉の分厚い層まで、鼠志野という様式がもつ表現域をこの小さな器に凝縮している。土に混じった硅石のかけらも、宇宙の暗闇に輝く星屑のようで、表情をさらに豊かにしている。 口縁から雪崩のように見込みに流れる釉溜まりはこの作品の一番の見どころだが、これは通常の志野の半筒形ではけっしてみることはできない。というのも、半筒の胴部は垂直だからこのような流れ方をしないし、厚めにかけると見込みが不均衡になるからそういう掛け方はしない。この表現は、井戸形のなだらかな斜面があってこそ可能で、その意味では、志野と高麗との出会いが生んだ特別な景色といっていい。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.7㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;朽葉志野井戸酒盃 山田洋樹
¥24,200
SOLD OUT
《解説》 今回山田さんが寄せてくださった作品のなかで、最も異色の作品である。作家から届いた小包を開けて、作品をひとつひとつ確認していると、この不思議な盃があった。何だこれは?形は井戸で、このムラムラとした肌は斗々屋みたいだな。口縁が皮鯨になっているな。いよいよ山田さんも志野以外の表現域を試しはじめたかとさえ思った。しかも、この作品とても良い雰囲気を出している。今回の山田さんの出品作のなかでいちばん高麗に近い。近くにいた嫁さんに、これいい感じやな、と見せると、今回のテーマを知らない嫁さんは「ホンマやね。高麗やね。」という。うんうん、まさにそう見えておかしくない。 御本人に確認してみると、あにはからんや、志野なのだそう。志野の土に不純物を多く含んだ長石釉を薄くかけると、こんなふうに焼き上がるのだそう。もちろん、こんな風情を狙ってのことである。作家にとって、やはり、志野は、最も核心的な表現手段であり、その可能性を様々に広げてこその創作活動だという思いがある。それを「志野以外の表現」とはたいそう無礼な想像をしてしまった。確かに、口縁に皮鯨のようにさしてある鬼板を見た段階で、それに気づくべきだった。井戸や斗々屋ならそんなことをする必要はない。鉄絵は志野を構成する主要な表現手段なのだから、そこに鬼板らしき装飾があることは、作家がここにおいても志野の表現を忠実に追求していることの証たるに十分だった。 作家が「変わった焼きなりになったのでどんな名前にするか迷ってます。何かいいアイデアないですかね?」とおっしゃるので、その紅葉のようなグラデーションをなす様子から「朽葉」を使ってみるのはどうかと提案した。単なる思いつきで浮かんだ名前だが、調べてみると、平安時代からある色の名前で、紅葉の色を指し、当時は赤朽葉、黄朽葉、青朽葉などの細分名もあったそうだ。この作品の肌は黄色っぽい釉調に赤や青がさしているのでピタリかと。作家に伝えたら気に入って頂いた様子。そのときのメールの返信に、この作家のひととなりがよく表れているので、そのまま転載する。「僕は紅葉する木々が大好きで、特にもみじが1番好きで、今の敷地に、7本のもみじを自分で植えて、育てています。大きいものは3メートル以上に育っています。紅葉の時期はもちろん、新芽が出る春先も可愛いですし、葉が落ちる真冬でも、雪が降ると雪の華が咲きますよ。」本作のような優しい作品が生まれる理由がわかろうというものだ。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径8.0㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;鼠志野割高台酒盃 山田洋樹
¥24,200
《解説》 志野の形態は主に半筒形で、古作たちは、いろいろな形で伝来しているとはいえ、基本的にはそのヴァリエーションである。半筒は、本文にも書いたように、おそらく利休が和物茶碗に導入し、長次郎、瀬戸黒、志野、織部へと伝播していった。高麗茶碗の筒形は例外的であることを考えると、半筒形は和物茶碗を特徴づける最も顕著な要素のひとつといっていい。あまりに強烈なその釉調のせいで指摘されることが少ないが、志野は、形態においても、「卯花墻」から「峯紅葉」まで、その可能性をあらゆる角度から掘り下げた点できわめて実験的な茶碗だった。志野の前衛性は、だから、その特徴的な釉調だけでなく、形態の多様性にあるのもまた認めねばならない。 ただ、それらはもっぱら半筒形をベースとしているので、これが井戸形になると何か少し変な感じになることは、山田さんの「志野井戸」の解説で書いた。もちろん、それは良い悪いの審美的な判断ではなく、志野といえば半筒という先入観のなせるところではある。しかし、これが本作のように、割高台になるとどうか。不思議なことに、同じ高麗茶碗にルーツをもちながら、井戸ほどの違和感を与えない。割高台の形式が志野の衣装をまとっていても、自然と腑に落ちる。それは、「朝陽」のような伝世品があるからではない。話はむしろ反対で、割高台という形式が志野とマッチするから「朝陽」のような茶碗が伝えられたというべきだろう。なぜか。 あくまで推測でしかないが、それは、本文でも書いたように、和物茶碗の歪みが割高台のような高麗茶碗に由来しているからではないか。とりわけ、志野の場合、半筒形を採用しながら、幾何的な線形を歪めることで、その造形表現を成立させている。それは、半筒のヴァリエーションであると同時に、歪みのヴァリエーションでもある。これも本文で書いたように、割高台の曲線は実は歪みではないが、その形態が志野のそれと親和的な関係にあることは十分考えられる。山田さんのこの作品を観ていると、そのことが確かであるかのような思いを強くする。伝来する割高台には比較的上品なものから荒々しいものまで幅広いが、この作品は後者の系統にある。そして、この作家は、通常の志野においてと同様、ダイナミックな造形を手がけるとその能力をさらに発揮させる。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》幅8.7㎝×奥行8.2㎝×高さ5.7㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;青瓷刻花紋盃 豊増一雄
¥24,200
《解説》 「高麗茶碗」とはいっても、実際に粉青や井戸が焼かれたのは高麗王朝のときではなく、次代の朝鮮時代だった。その意味ではこの呼称は正確性を欠いているといえなくもないが、中国のことをもはや唐ではないのに「唐(から)の国」と呼んだように、これを輸入して重宝した当時の日本人は朝鮮半島をまだ「高麗」と呼んでいた。だから、茶碗の分類にも、当時の呼称に倣っていまだに「唐物」や「高麗物」という呼び方が生きている。 今回豊増さんが寄せてくださった作品は青磁で、これはむしろ高麗が誇ったやきものでまさに「高麗茶碗」と呼ぶにふさわしいが、間違って伝えられた「高麗茶碗」のカテゴリーからは少しはずれる。高麗青磁は高麗王朝の成立とほぼ同時期の10世紀中頃から始まる。当時の中国の呉越国と交流があったことから、越窯青磁が輸入され、その焼成技術ももたらされ、青磁の国産化が実現した。器形も景色も中国の影響を受けながら次第に洗練され、南宋において中国青磁が絶頂期を迎える12世紀には、高麗青磁もまたその最盛期を迎える。 しばしば「雨過天晴」にたとえられる南宋青磁の美しい青は「秘色」とも呼ばれ、源氏物語にも登場するほど広く知れ渡っていた。これに対して、高麗青磁はこれを「翡色」と言い換えて形容した。中国では秘色は神秘的な青のことを表したが、高麗では、美しい青緑色を翡翠の色に見立てて表現した。いずれにしろ、12世紀は、中国でも朝鮮半島でも古今東西にわたってもっとも美しい青磁が生まれた時代だった。(豊増一雄「青瓷象嵌」の解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径5.4㎝×高さ5.0㎝、新品、注意:共箱はつきません。 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱なしの場合は御注文から1週間以内に発送いたします。共箱を御要望の方には、表示価格に実費2400円を別途御負担頂きます。御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。
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「高麗のほうへ」展;青瓷象嵌盃 豊増一雄
¥19,800
SOLD OUT
《解説》※豊増一雄「刻花文青瓷」解説からの続き 「翡色」といわれた高麗青磁には、しかし、その後があって、最盛期を過ぎて高麗王朝の国力が弱体化するにつれて、その精度もまた次第に低下していく。14世紀になると、往時に比べるとかなり粗悪なものが出回るようになって、王朝の終焉とともに、それは、青磁を粗製化したやきものである粉青に変遷していく。この粉青こそまさに高麗茶碗で、日本の茶人たちがその侘びた風情を評価して茶席の人気を席巻した。 だが、かれらの慧眼はその粉青になる手前の粗製青磁の侘びも見逃さなかった。「翡色」から遠くくすんだ灰色で、ときに焼成の不具合で黄色っぽくなった焼き損じにも、冷え枯れた魅力を見い出した。本文で言及した利休愛好の「引木鞘(ひきぎのさや)」などはその代表例で、その青は所謂青磁の一級品に比べるとずいぶんくすんでいるし、象嵌のキレもイマイチである。青磁の正統な基準でいえばB級品であるはずのこの茶碗に、利休たちは積極的な価値を付与した。狂言袴という分類でくくられるこの手の茶碗は、粉青に先立つ高麗茶碗の最も古い種類のひとつとして取り上げられる。先に高麗青磁は高麗茶碗のカテゴリーからはずれると述べたが、その意味で、それは、粉青になる前のその最終形において高麗茶碗に数えられていい。 きれいな青磁を焼くひとはたくさんいるが、豊増さんのように、少しくすんだ、それこそ高麗茶碗に挙げられるような渋い青磁を焼くひとは稀である。焼きが下手なのは容易だが、敢えて下手に焼くのは難しい。それを狙ってできるところがこの方の真骨頂である。その力量を示す対照的な作品を今回送って頂いた。「刻花文」のほうは焼きもよく釉もよく溶けていて、しかも、この小さな器にこれほど精巧な彫り物を施せる技は見事というほかない。「象嵌」のほうは反対にくすんだ釉調とぼやけた象嵌で、高麗青磁末期あるいは粉青初期のあの微妙な陰影を表現している。前者を観ていれば、この方にかかれば「翡色」と呼ばれるほどの作品もさぞや可能だと思うし、「後者」からは青磁のフロンティアをさらに切り拓くパイオニアとしての作家像を読み取ることができる。 写真ではわかりにくいが、いずれの作品も通常の盃のサイズからすると一回り小さい。ちびちび日本酒をやるのももちろんいいが、これに強い洋酒を注いで喉を焦がしながらあおるのもまた一興かと。そうなればおそらく、もういっぱい、を重ねて悪酔いすること必死だとはいえ。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径5.5㎝×高さ5.0㎝(いずれも最大値)、新品、注意:共箱はつきません。 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱御不用の場合、1週間以内に発送いたします。共箱を御要望の方には、表示価格に実費2400円を別途御負担頂きます。御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。
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「高麗のほうへ」展;黄瀬戸柿の蒂盃1 鈴木都
¥18,700
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《解説》 「柿の蔕を選んだのは特に深い理由があったわけではありませんが、たまたま石ハゼが面白く出る土が手元にあって、それを黄瀬戸の油揚手と合わせたら、柿の蔕茶碗の薄がけ釉の枯れた味わいに共通するようなものになるのではと思ったからです。もちろん、以前から柿の蔕には一度挑戦してみたいとは思っていましたが」。都さんに今回高麗茶碗のなかでもとくに個性の強い柿の蔕を選んだ理由を尋ねると、こんなメールが返ってきた。今度の提案で、作家がどんな茶碗を選ぶか楽しみにしながら想像をめぐらせていたが、柿の蔕に黄瀬戸とは想定外だった。ときに南蛮との類似さえ指摘される柿の蔕に、黄瀬戸の派手目の化粧が似合うとはちょっと想像がつかなかった。だが、送られてきたふたつの作品はいずれもその特徴的な形態と釉景が不思議と調和している。 柿の蔕が高麗茶碗のなかでも侘びの極北に位置することは、機会あるごとに主張してきた。土肌が剥き出しになっているかのような飾り気のないその表情は、侘しい草庵の茶室に、他のどの茶碗よりもふさわしくみえる。ときに苔むす巌にもたとえられるその景色が、実は土と釉薬の微妙な配合による人工的な演出であることを知れば、たとえば、みすぼらしい東屋にみえて当時最高級の建築技術で建てられた利休の待庵のそれとも重なってみえる。侘び茶の侘びは、本当の侘しさからではなく、お金と手間暇をかけてそうありたいという願望から生まれる。その意味で、柿の蔕は、待庵がそうであるように、その特殊な侘びと親和した。その風情とともに、その演出においても侘びの極北にあるのが柿の蔕茶碗である。 だが、私見では、本文でも書いたように、柿の蔕もまた祭器である可能性が高いと思っている。理由のひとつは、その特徴的な形態にある。多くの碗形の茶碗は、この柿の蔕のように、わざわざ胴部を張り出すようなことはしない。実用性だけを考えれば、この張り出しは不要で、むしろ邪魔になるとさえいえる。井戸や三島などの碗形の茶碗には、このような造形はほとんど見当たらない。唯一例外が、似たような、しかし柿の蔕ほどでない張り出しをもつ蕎麦茶碗くらいである。その意味では、蕎麦もまた祭器であるかもしれないとも本文で述べたが、その不自然な器形と、申翰均氏が指摘した小さな高台という特徴からしても、両者は祭器由来である公算大とみている。(鈴木都「柿の蔕2」の解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径9.5㎝×高さ4.5㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;黄瀬戸柿の蔕盃2 鈴木都
¥18,700
SOLD OUT
《解説》※鈴木都「黄瀬戸柿の蔕1」解説からの続き 柿の蔕茶碗は、斗々屋や蕎麦とともにひとくくりに扱われることが多い。製法が粉青に由来するとみられていることに加えて、焼成時期もほぼ重なるとされているからである。その意味では、高麗茶碗の隆盛期の前期を占めるといってもいいが、それだけ原高麗に近いということでもある。さらに、柿の蔕は、蕎麦と同様、伝世する古作が三十碗ほどと極端に少ない。小田榮一氏は、同種の茶碗なのに斗々屋だけが多く、そこには後世の作が混ざっているのではないか、と指摘している。これを裏返せば、柿の蔕や蕎麦の独特の「形式」は、複製品をつくるにはかなりの難度があるということではないか。斗々屋は素直な碗形だし、割高台や御所丸など特徴のはっきりしている形式は、それを際立たせれば似せられるので、比較的容易に真似られる。だが、柿の蔕や蕎麦のあの微妙な碗形をそれらしくするには「形式」を熟知した確かな腕前を要請する。それもまたこれら特異な形の茶碗を原高麗と比定する理由のひとつである。 その点、都さんは、ずっと気になっていただけあって、柿の蔕をしっかりとらえている。いっけんミスマッチとも思える黄瀬戸の様式をそこに合わせても、柿の蔕を感じさせる「形式」を維持させているのがその証左である。胴紐の黄瀬戸で釉調にムラを起こすなど考えられないが、この作品では黄瀬戸の釉薬を使って、あたかも柿の蔕のような釉景色を実現している。そして、油揚手の黄瀬戸にみられるコゲをうまく使って、本歌の寂びた感じを出しているのもいい。作家自身が説明しているように、石ハゼを景色とする粗い土も本歌のあのゴツゴツした感じを彷彿とさせる。少しわかりにくいが、高台の畳つきを志野のそれのように二重にしているのは作家の遊び心によるものか。 都さんは、こちらがお願いする企画に複数出品してくださるときは、いつも違った種類を御用意くださる。それが今回柿の蔕というひとつの種類の違うバージョンを提供して頂いたのは、その「形式」がよほど作家の感性に触れたからだろうし、加えるに、この両作品のいずれも捨てがたい焼き上がりだったからだろう。確かに、「1」のほうは黄瀬戸と柿の蔕それぞれの形式のぶつかり合いが、「2」のほうはその暗い土肌の本歌への迫り様が、それぞれ味があって、どちらが優れているともいい難い。このふたつの作品を、仁王像の阿形と吽形のごとく対で鑑賞できる楽しみは、ショップ運営者のみに許された特権だが、それを多くの方々と共有できないのは少し残念でもある。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径9.5㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;茂山的本沼手黄瀬戸窯変酒盃 松村遷
¥17,600
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《解説》 本作、「窯変」とありながら黄瀬戸である。「ながら」と逆接にしたのは、本来の黄瀬戸は窯の具合で不均質になることを避けるやきものだからである。その肌は均質な油揚げ色にするのが王道で、松村さんの作品の中心にあるのは、やはり本格黄瀬戸である。だが、今回、「高麗」というテーマに接したことで、作家は薪窯を選んだ。多くは語らないが、おそらく、高麗といえばあのムラムラとした窯変がまず頭をよぎるのだろう。確かに。そして、作家は三度も窯を通した。結果、いつもの黄瀬戸とはまったく異質の黄瀬戸が生まれた。 「茂三」は、本文で書いたように、対馬藩が釜山に設置した倭館窯で焼かれた御本茶碗のひとつ。同じ倭館で焼かれた茶碗に、玄悦や弥平太がある。茂三は、その倭館窯で陶工頭を務めていた中庭茂三という人物の名前から来ていて、かれは陶工ではなく、窯の運営を司る対馬藩士で、実際に制作に当たったのは、主に朝鮮の陶工たちだった。茶碗の名前になっているのは、茂三が陶工頭だったときに焼かれたとの単純な理由らしい。陶工頭が玄悦だったときには「玄悦」、弥平太のときには「弥平太」。原高麗が日本における高麗ブームの初期の作とすれば、茂三などの御本が焼かれたのは後期で、その形状も、井戸や粉青などからすると、かなり作為的といえる。御本茶碗の魅力のひとつである。 松村さんはその形に惹かれた。かなりニッチなところを突いてくるなと思って理由を尋ねたら、上にスッと伸びていくようなその形状が気に入ってこの形式を選んだという。茂三はときに「茂山」と標記されることもあって、作家は敢えてこちらの山のほうを採用した。「何となくそっちの方が合っている」ように思ったというその理由ははっきりしている。この作品の焼きなりがまさに自然そのもので、数字よりも自然を想像させる山のほうがよほどピタリと来るからだ。高麗物のムラムラを通り越して釉が雪崩を起こし、高台辺りに見え隠れする本来の黄瀬戸の表情と激しいコントラストをみせる。まるで唐津の斑のようだが、この表情は黄瀬戸の土と釉を使って、さらに三度も焼いているので、より複雑な表情をみせている。高麗茶碗の形式が作家をはるか遠い地点に導いた。そんな感想を抱かせる異色の作品である。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.6㎝×高さ5.3㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》御注文から1週間以内に発送いたします。
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「高麗のほうへ」展;粉引ぐい呑み 杉本 玄覚 貞光
¥66,000
《解説》 高麗茶碗が輸入されはじめた頃は、現在のように細分化された名称をもたなかった。当時の茶会記には総じて「高麗」とか「カウライ」と記されて、そのなかにかろうじて「三島」や「暦手」が散見されるのみで、そこから差別化される「井戸」が登場するのも、天正6年(1578)を待たねばならない。ちなみに、細分化された名称が会記に頻繁に記されるのは、寛永7年(1630)以降、遠州の時代になってからである。したがって、初期の「カウライ」がいずれの茶碗を指すのか正確にはわからない。そこには、斗々屋や粉引のような茶碗があったのかもしれない。 杉本師の黄瀬戸は胴紐の形をしていないので、その理由を以前直接ご本人に尋ねたことがある。すると「あれは茶碗ではないから。」というお言葉が返ってきた。確かにあれは向付で茶碗ではない。そのままの理由といえばそうだが、その言葉の裏には、どんな種類の茶碗であれそれにふさわしい定型があるとの確信がある。それは、それそのものとはいわぬまでも高麗茶碗の「形式」に近い。師がよくいう作品の「芯」を構成する形である。 杉本師にとって、高麗茶碗とはまさにこの作品のようなものを指す。「粉引」といっても、単なる粉引ではない。全体の造形はむしろ斗々屋茶碗に近く、高台周りの粗い縮緬皺や椎茸高台は通常の粉引にはない表現である。また、火の加減からか、器胎が片身替わりになっていて、胴周りの表情を豊かにし、とりわけ見込みは複雑で多彩な釉調を実現している。さらに、口縁が所謂「皮鯨」になっていて見どころをつくっている。もし「カウライ」の魅力をひとつの茶碗に集めることが可能とすれば、おそらく、このような茶碗こそがそれにふさわしい。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》(寸法)w8.4㎝×h4.7㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日迄 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;御所丸黒織部ぐい呑み 西岡悠
¥17,600
《解説》 本文で御所丸と古田織部の関わりについて触れたが、この企画で西岡さんに出品をお願いしたとき、頭の片隅に御所丸に関連した作品にならないかと望んでいた。この方の仕事の中心には黄瀬戸があるが、これも含めてその射程は、広く桃山茶陶の織部スタイルにあるからだ。美濃陶のボキャブラリーをもって、その可能性を様々な角度から試しているのがそのやり方で、まるでパズルを解くかのように新しい桃山陶を拓いていく。与えられた条件だけに安住することなく、少しずつ対象をずらしてそれを創作につなげていく様は、それこそ織部のスタイルに通じるところがある。 御所丸はその織部が朝鮮半島に注文して焼かせたという説がある。その歪んだ造形が所謂織部焼のそれに似ていることがその根拠となっているが、それに加えて織部が愛蔵したと伝えられる御所丸茶碗「古田高麗」の存在が、その説の信憑性をさらに高めている。林家晴三氏は、文禄・慶長の役の際、日本勢の拠点となった肥前名護屋城にいた織部が密かに朝鮮半島に渡って焼かせたのではないかというし、「井戸=祭器」説を唱えた申翰均氏でさえ、この独特な造形は特別な才能をもった茶人でなければ思いつかないと述べている。 だが、これらの主張の基となっている根拠は、実証的な裏付けが期待できるどころか、上に述べたようにごくほんやりとした印象や伝承にすぎない。だから、林家氏の推測も、申氏の想像もさほど説得力のないぼんやりした領域にとどまっている。御所丸の歪んだ形が織部のそれに似ているからといって、それが織部の指導の下でつくられたとどうしていえるのか。高麗茶碗には割高台や金海をはじめとして歪んだ茶碗は他にいくらでもあるのに、だとすれば、それらもまた織部の発想から来ていることになるのか。御所丸の形が特異性を帯びてるのは確かだとしても、それを織部の天才によるものとどうしていえるのか。「古田高麗」以外に織部の手になる茶碗で、同じ強度でその特異性を主張するほどのものがあるか。(西岡悠「御所丸総織部」解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》幅8.6㎝×奥行7.5㎝×高さ5.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;御所丸総織部ぐい呑み 西岡悠
¥17,600
《解説》※西岡悠「御所丸黒織部」解説からの続き 織部の天才は、造形力にあるというよりも、むしろ壊すことにある。かれは、珠光が創始した「越境」スタイルを、利休を通じて最も忠実に継承した。既存の価値観を否定し、それによって新しい価値観を創造するというやり方がそれである。珠光や利休は、それを茶の湯のルールに対して実践したが、織部の場合、それだけにとどまらず、茶道具を壊すところまで過激化した。井戸茶碗を十文字にかち割って改めて継いでみたり、墨蹟を破いてみたり、窯の炎で破損した水指や花入を敢えて使用してみたり。われわれに最も親しいのが、織部焼のあの歪んだ茶碗である。 この歪みこそが御所丸に通じるというのが、御所丸織部御本説の根拠となっているが、高麗茶碗の歪みと沓茶碗のそれは、本文でも書いたように、その背景をまったく異にしている。たとえば、割高台のあの形式は、古代中国の祭器のひとつである「爵」に由来している。胴部が横長に歪んでいるのは爵の細長い器を、高台が割れているのもその三本の足をそれぞれ再現するためである。青銅器の精巧な表現を朝鮮半島の民窯の技術でなぞろうとした精一杯の努力の痕跡がそこにはある。本文ではそれを祈りの造形といった。 いっぽう、織部による沓茶碗の歪みは、「越境」由来だから、元来否定的な意思によって実現されている。簡単にいえば、円形を歪めて、シンメトリーを良しとする美学を否定するのが、そのコンセプトである。それは、茶碗を割ったり、墨蹟を破いたりする破壊的な表現と同質である。織部のこの芸術表現と高麗茶碗の造形が目指すところが交差する地点といえば、単に歪んでいるというその一点にすぎない。だが、歪んでいるといっても、いっぽうは既存の考え方を否定するために壊す力を表現し、もういっぽうは確たる信仰を再現するための表現である。おなじ歪みでも、それらがもつ意味は相容れない。これも本文で述べたが、織部の沓茶碗はまさに歪んでいると形容していいが、高麗茶碗のほうは何者かを再現しようとしている点で、歪みといってはならない。そこには、否定的な意思などなく、厚い信仰に基づいた積極的な造形のみがある。(西岡悠「御所丸黒狐手織部」解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》幅7.7㎝×奥行6.7㎝×高さ4.6㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;御所丸黒狐手織部ぐい呑み 西岡悠
¥19,800
《解説》※西岡悠「御所丸総織部」解説からの続き だから、御所丸が織部の指導の下で焼かれたという織部御本説は多分に怪しいと思っている。もちろん、怪しいという根拠もぼんやりしているから、確信をもって断言できるわけではない。それでも、御所丸のあの複雑な造形が織部の天才によるものといわれると、それは違うのではといいたくなるのも、上に述べた背景を考えるなら致し方ない。というよりも、本文では敢えて触れなかったが、古代中国の青銅器のなかに御所丸の原型となったのではないかという祭器「簋(き)」があることからしても、織部の天才云々はどうしても眉唾ものに思えてならない。だが、何も証拠がない以上、いずれも憶測の域をでない。 御本人に確認したわけではないので、これもまた憶測にすぎないが、西岡さんは、今回の試みで、おそらく、御所丸織部御本説を念頭に置いている。御自身の表現スタイルの核心に織部がある以上、それが最もストレートに活かせるのは御所丸茶碗をおいて他にない。御本であるかどうかにかかわらず、織部が「古田高麗」をとおしてこの形式を愛したという意味では、十分織部好みともいえる。その試みは、だから、織部が真にこの特異な形式に対峙していたならどういう表現があり得たかという実験でもある。 結果はどうだったか。あくまで私見にすぎないが、御所丸御本説には不利なようにみえる。というのも、黒刷毛は黒織部との類似から織部の関与が指摘されるが、実際に黒織部の手法で焼かれた御所丸は黒刷毛とはやはり様相を異にする。同じ形態で、かつ同じ白と黒とでデザインされていても、そこには、違うベクトルの創造力が働いているようにみえる。それは、しかし、審美的にどちらが優れているという問題ではない。御所丸という「形式」にかりに織部が向かったとしたら、おそらくは、西岡さんのこれらの作品のような茶碗が出来上がっただろうということだ。そしてそれは、厚い信仰を感じさせるというよりも、むしろよりモダンな芸術表現の領域を拓いている。それらは、織部が関与した云々の問いを越えて、現代に生まれた作品として自立している。別のいい方をすれば、この古い形式は新しい創造の受け皿にもなり得ることを、この三つの作品は示している。さらに言葉を換えれば、利休や織部が高麗茶碗から多くのヒントを得たように、その「形式」にはまだまだ汲めども尽きない可能性が秘められていることを、西岡さんの実験は証明している。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》幅7.8㎝×奥行6.8㎝×高さ4.7㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;井戸ぐい呑み1 柳下季器
¥22,000
《解説》 本文でも述べたが、茶会記の記録によると、高麗茶碗が輸入された頃には総じて「カウライ」とか「高麗」の記述で登場し、今なされている分類名は存在しなかった。おそらくは、多用な形式があったものと推測されるが、高麗渡りの茶碗ということで一括してそう呼ばれていたのだと思う。名前というのは他から区別するためにあることからすれば、日本に伝わったばかりの高麗茶碗は、それまで茶の湯で使用されていた天目や青磁との差異を表す呼称があればそれで十分だった。茶人たちは唐物とは違う茶碗を使うパフォーマンスを強調したかったはずだから、同じ高麗物のなかの差異よりも、その名前がそれを伝える手段であることが何より重要だった。「カウライ」とは、すなわち、「唐物とは違う」ことを意味した。 ところが、高麗茶碗がある程度普及する16世紀の後半になると、それまでの「カウライ」に混じって、「みしま」あるいは「暦手」、「井戸」、「割高台」などが会記に現れるようになる。ということは、つまり、はじめに「カウライ」と呼ばれていた茶碗のなかにそれらはあったということで、なかでも他とは違う特徴的な造形をしていたために新たな分類名を獲得したことが伺われる。巷にある程度高麗茶碗が行き渡って、天目や青磁などの唐物との差異がもはや珍しくはなくなったので、茶人たちの眼が「カウライ」そのもののなかの差異に向いたことも原因しているだろう。 世紀の終わりに近づくと、利休などの先進的な茶人たちは、今度は和物茶碗を自ら開発することで、それによって高麗物が唐物に対してそうであったような差異を自ら演出しはじめる。この差異の追求を是とする風潮が織部の自刃で幕を閉じることになると、本文でも述べた。この動きと並行するかたちで、高麗茶碗の分類化は次第に活発になっていき、それこそ織部が切腹して徳川政権が安定期に入る頃からより細分化された分類名が生まれるようになる。時代が下剋上から太平の世へと移行するなか、差異よりも同一性を重視するモードへと転換していった様子がその動きにみることができる。(柳下季器「井戸ぐい吞み2」の解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径9.0㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;井戸ぐい呑み2 柳下季器
¥22,000
《解説》※柳下季器「井戸ぐい呑み1」解説の続き 名前をつけること、分類名を設けることは、まさに朱熹のいう「名分」化にほかならない。「名分」とは、社会のなかでの立場や役割を明確化するとともに、上下の秩序を確立することでもあった。朱子学をイデオロギーとした徳川体制下で制度化された茶道にあっては、茶碗をはじめとする茶道具の「名分」化が盛んに行われた。「銘」をつけるというのはその際たる行為である。高麗茶碗の場合、その形態が多様なだけに、その恰好の対象となった。初期の分類名の「三島」や「井戸」に加えて、一括して「カウライ」と呼ばれていたその他の茶碗のなかから「斗々屋」や「蕎麦」、「呉器」などのおびただしい分類名が生まれる。17世紀の後半になると、前世紀の初めとちがって「カウライ」よりもむしろこの分類名たちのほうが多く茶会記に登場するようになる。 「名分」化に上下の秩序を確立するという意味があるとすれば、井戸は高麗茶碗のなかで最も格が高い。本文でも述べたが、秀吉が黄金の茶室に合わせてつくらせた茶碗は井戸だったし、高麗茶碗のなかで唯一国宝となっているのも井戸、申翰均氏が高麗茶碗が祭器由来であることを主張する主な根拠としたのもまた井戸である。その位置づけは、次に続くナンバー2や3があって1番なのではなく、群を抜いて1番であるといってもいい。 しかも、安定期の茶人たちは、その「名分」化を分類としての井戸茶碗にも適用した。井戸という分類の下に、さらに「大井戸」、「小井戸」、「青井戸」、「井戸脇」、「小貫入」という下位分類名を設けたのである。「大井戸」はいうまでもなく、所謂井戸の条件を備えた代表格としての井戸。「小井戸」は「大井戸」に比べて小ぶりで梅華皮などが派手でない代わりに独自の表情をもつ。「青井戸」も「小井戸」同様小ぶりだが碗が鉢形にやや開きかつ釉調が青みがかっている。「井戸脇」は井戸というほどではないがそれに近い趣をもっている。「小貫入」は細かな貫入に特徴がある。この定義づけこそ、「名分」化の最たるもので、「大井戸」を頂点として、「小井戸」と「青井戸」がそれに続き、「井戸脇」、「小貫入」の順に井戸のヒエラルキーを構成する。同じ高麗茶碗のなかでも井戸はナンバー1であり、同じ井戸のなかでも大井戸は頂点にある。「名分」化は「大井戸」の地位をさらに高めることに貢献した。(柳下季器「井戸ぐい呑み3」の解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径8.9㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;井戸ぐい呑み3 柳下季器
¥22,000
《解説》※柳下季器「井戸ぐい呑み2」解説の続き もっとも、井戸のなかの小分類はその定義がいうほどわかりやすくはない。小井戸のなかにも大井戸と変わらない大きさのものがあったり、青っぽくない青井戸があったり、井戸脇と小井戸の違いがさほど明確でなかったり、小貫入といいながら井戸の多くには細かい貫入があったりして、初見でそれを分類しろといわれたら、戸惑ってしまうケースはたくさんある。小分類の定義は、だから、厳密とはいえない。それは、この分類が誰かひとりの茶人やひとつの機関によって決定されたのではなく、長い年月を通じて多くの茶人たちの実践の積み重ねを経て生まれたものだからにちがいない。呼称は共通しているが、実はその基準には複数の視点が交差しているというわけだ。 柳下さんに今回の出品を依頼したら、「自分は井戸になると思いますが、それでいいですか。」との返答だった。もちろんいいに決まっているが、そこには、作家の作陶に向かう姿勢と、高麗茶碗についての理解が顕著に表れている。まず、柳下さんにとっての高麗茶碗とは、とりもなおさず井戸であるということだ。それは、井戸が高麗茶碗のなかで最も高い「名文」をもっていることと無関係ではない。桃山茶陶の様々な茶碗と対峙するこの方のスタイルは、つねにそれぞれの形式のなかでも最高とされるものに立ち向かう。長次郎しかり、光悦しかり、美濃陶しかり。そうしてはじめて作家の創作意欲は刺激され、それをとおしてその腕も磨かれていく。目標は高ければ高いほどいいということでもあろう。そして、いったん照準を定めたら、それを徹底的に突き詰める。それが柳下さんの作家としての姿勢にほかならない。 この方の腕前であれば、井戸以外の高麗茶碗に取り組んでも、相応の作品はできるはず。そこに敢えて踏み切らないのは、井戸という形式が作家のなかでまだ汲み尽くされていないからだ。「伝世する井戸のなかには雨漏りのしているものがありますが、今回の作品は使い込めば雨漏りが出るようにちょっと仕掛けがしてあります。見かけはこれまでの作品と変わりませんが」。いくら井戸に挑んでも、まだまだ新しい作品づくりはできる。それほど、その世界は深くて広い。雨漏りの件ひとつとってもそうだし、三つの井戸のそれぞれに違う表情が、柳下井戸の底知れない可能性を物語っている。この方の場合、井戸と向き合うことがすなわち高麗茶碗に向き合うことに等しいということである。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径8.1㎝×高さ4.4㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;交趾ぐい呑1 柳下知子
¥11,000
《解説》 柳下さんとは旦那さん(季器さん)の奥さんとしてのおつきあいが長かった。工房にお邪魔するときに少しお話したり、一度は家族で伊賀を訪れて皆で食事を楽しんだりした。旦那さん同様、御自身も作陶に携わるとは伺っていたが、その間育ちざかりの息子さんとかわいらしいお嬢ちゃんの子育てで手一杯で、作家活動はしばらく休止しているとのことだった。最近になってそれもひと段落したようで、ぽつりぽつりと作品をつくるようになって、旦那さんとの二人展やグループ展でお披露目するようになった。 その作品を拝見して、とくに交趾が面白く、その今風の解釈に魅かれるものがあった。交趾といえば、真っ先にイメージされるのが茶道具で、とくに香合は茶席のワンボイントを華やかに飾る道具として印象的である。侘びを求める他の茶道具がどちらかというとおとなしめの色合いなのに対して、交趾は、その鮮やかな色で茶席の華というにふさわしい。交趾焼は中国南部のやきもので、それが交趾船によって運ばれたためにその名があるというが、現在われわれが目にする多くは国内産の写しで、とくに京焼のそれが有名。仁清や木米を生んだ京焼の系統にあるから、それは、かなり派手目のやきものになっている。 それはそれで魅力的だが、柳下さんのそれは、色合いを抑えめにして、しかも釉薬も濃淡を意識してとてもシックな交趾を実現している。京焼とは違う様相で、しかも日常使いの器にそれを応用しているので、交趾といってもそれとは異質なやきものだといっていい。これを翻せば、この方の作品は、交趾という特殊なやきものを茶室から解放し、それが様々なライフスタイルにおいても活用できることを示している。「今風の解釈」と形容したのはそういう意味からである。(柳下知子「交趾ぐい吞み2」解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.4㎝×高さ5.0㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;交趾ぐい呑2 柳下知子
¥11,000
《解説》※柳下知子「交趾ぐい吞み1」解説の続き そんな柳下さんの交趾に以前から感心していたので、今回高麗茶碗をテーマにすると決めて、あつかましくも交趾という条件をつけて御協力をお願いした。今度の企画で新たに御協力頂くのは、通次さんに続いて二人目になるが、通次さんはまさしく高麗茶碗のど真ん中を行く作風であるのに対して、柳下さんには、むしろ、茶の湯から離れたところにあるその交趾が高麗の「形式」と出会ったときにどんな化学反応を起こすのかという点に興味を抱いた。いったん、茶席から離れた交趾が、その様相のまま再び茶の湯の世界に戻ったとき、どんな作品が生まれるか。 作家からは御所丸と呉器に基づいた対照的なふたつの作品が届いた。御所丸は、高麗茶碗の「形式」を真正面からとらえて、これに交趾の技法をさりげなく応用している。御所丸の形式が高麗物に限定されず広く様々な表現に応用できることは西岡さんの解説文でも述べたが、このオシャレな御所丸たるや。黒刷毛を濃淡のある交趾に替えるだけで、カジュアルで洗練された器に生まれ変わる。西岡さんの御所丸たちが硬派なモダンアートのようなのとは対照的に、柳下さんのそれは、われわれのごく身近で存在感を発揮するクラフトアートのよう。 いっぽう、呉器のほうは、祭器であることを意識されてか、その器面を交趾が華やかに彩る。呉器の下位分類のひとつに紅葉呉器があるが、これは、紅葉のような明るい赤に覆われた呉器を指す。他の分類に比べてひときわ華やかで、それは、この「形式」が明るく華やかな色合いによく調和することを暗示している。御所丸とは違って派手目の色を装飾に使ったこの作品は、そのことを知っている者の手から成っている。さらに、御所丸もそうだが、その色合いを受ける地となる器の造形がとてもシャープで、素朴な造形を魅力とする高麗茶碗とはまた別の魅力をそこから引き出していることも、この方の作品に個性を与えている要因のひとつである。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径6.7㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 染付酒盃① 豊増一雄
¥19,800
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《解説》(豊増一雄「染付茶盌」の解説からの続き)だが、この話、利休が気に入らないから打ち割ったというのはいかにも乱暴な話だし、本歌を写真でみる限りでは、打ち割られたほどの大きな繕い痕もみあたらない。第一、気に入らない茶碗ならばなぜ利休は宗二から受けとったのか、辻褄の合わないことが少なくない。さらに、この茶碗、もともと茶碗としてつくられたのではなく、いかにも利休が好みそうな半筒形をしているから、かれが使ったといわれても違和感はない。何よりこの魅力的な「紀三井寺」という茶碗が現前と存在しているだけに、宗左の証言に唯々諾々として納得するには少々抵抗感が残る。実際のところはよほどの新しい発見がなければわからないだろうが、それはそれとして、こうも考えることができる。宗左の初めの引用文のなかで「今の人はこれを知りません」という指摘があるが、この背景には、利休好みだといって染付を重宝がる当時の風潮があったのではないか。染付を茶席で多用するようになったのは遠州からで、日常使いでも有田の磁器が世の中に普及して、陶器は古臭いやきものとして追いやられていった。陶器が中心だった侘び茶原理主義者であった宗左からすれば、ともすれば染付をありがたがる当時のそんな風潮を苦々しく思っていたのではないか。だから、真の侘びは染付にはないことを利休にかけて訴えようとした。(豊増一雄「染付酒盃」②の解説に続く) ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12762487113.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091662321.html 《作品情報》(寸法)w6.5㎝×h5.2㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》御注文後に共箱を発注いたしますので、発送は三週間以降になります。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 今焼黒ムキ栗ぐい呑み 柳下季器
¥24,200
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《解説》長次郎の数ある茶碗のなかで「ムキ栗」はまさに異形の茶碗である。利休が碗形ではなく筒形の茶碗を愛したことは、伝世の高麗茶碗や長次郎の造形で知ることができるが、それでさえも、当時としては新しい茶碗の形として受けとめられたことが想像できる。だが、この茶碗としては異例の四方形をした「ムキ栗」は、その比ではなく、これはいったい何だとの驚愕を茶席に引き起こしたにちがいない。まさに「崇高」な茶碗といっていい。それなのに、当時の茶会記にこれに関する記述は見当たらない。長次郎の茶碗は「宗易形ノ茶碗」、織部の茶碗は「ヒツミ候也 ヘウケモノ也」と記録されているから、何かそれまでとは違う趣向があれば、誰かがどこかで書き残すはずである。あるいは、利休はこの茶碗を茶席で使わなかったのではないかとの考えさえ抱かせる。さらに、現代にあっても、長次郎や利休好みを紹介する解説本でその特殊性を強調する向きは少なく、この形が利休好みの「四方釜」から来ているとか、せいぜい当時としては珍しい形などと指摘するだけで素通りする。どうも「ムキ栗」は過小評価されていないか。この茶碗があまりにも利休のイメージから離れていて、所謂侘び寂びの利休を語ろうとするには不向きだから敬遠されるのか。そんなことはない。本文でも散々書いたが、「ムキ栗」のように茶碗の概念を破壊するような実験をするのが利休の茶の狙いである。その意味で、それは、利休の侘び茶の極北を行く茶碗である。今回の企画には不可欠な造形なので、柳下さんに無理をいって御提供頂いた。四方の形もさることながら、全体の茶褐色のざわざわ感がとてもいい。 ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12758772393.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10100913419.html 作家HP http://www.hideki-yanashita.com/ 《作品情報》(寸法)w5.4㎝(一辺)×h5.1㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日まで 《お届け》ご注文から5日以内に発送いたします。
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