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「高麗のほうへ」展;茂山的本沼手黄瀬戸窯変酒盃 松村遷

¥17,600 税込

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《解説》
 本作、「窯変」とありながら黄瀬戸である。「ながら」と逆接にしたのは、本来の黄瀬戸は窯の具合で不均質になることを避けるやきものだからである。その肌は均質な油揚げ色にするのが王道で、松村さんの作品の中心にあるのは、やはり本格黄瀬戸である。だが、今回、「高麗」というテーマに接したことで、作家は薪窯を選んだ。多くは語らないが、おそらく、高麗といえばあのムラムラとした窯変がまず頭をよぎるのだろう。確かに。そして、作家は三度も窯を通した。結果、いつもの黄瀬戸とはまったく異質の黄瀬戸が生まれた。

 「茂三」は、本文で書いたように、対馬藩が釜山に設置した倭館窯で焼かれた御本茶碗のひとつ。同じ倭館で焼かれた茶碗に、玄悦や弥平太がある。茂三は、その倭館窯で陶工頭を務めていた中庭茂三という人物の名前から来ていて、かれは陶工ではなく、窯の運営を司る対馬藩士で、実際に制作に当たったのは、主に朝鮮の陶工たちだった。茶碗の名前になっているのは、茂三が陶工頭だったときに焼かれたとの単純な理由らしい。陶工頭が玄悦だったときには「玄悦」、弥平太のときには「弥平太」。原高麗が日本における高麗ブームの初期の作とすれば、茂三などの御本が焼かれたのは後期で、その形状も、井戸や粉青などからすると、かなり作為的といえる。御本茶碗の魅力のひとつである。

 松村さんはその形に惹かれた。かなりニッチなところを突いてくるなと思って理由を尋ねたら、上にスッと伸びていくようなその形状が気に入ってこの形式を選んだという。茂三はときに「茂山」と標記されることもあって、作家は敢えてこちらの山のほうを採用した。「何となくそっちの方が合っている」ように思ったというその理由ははっきりしている。この作品の焼きなりがまさに自然そのもので、数字よりも自然を想像させる山のほうがよほどピタリと来るからだ。高麗物のムラムラを通り越して釉が雪崩を起こし、高台辺りに見え隠れする本来の黄瀬戸の表情と激しいコントラストをみせる。まるで唐津の斑のようだが、この表情は黄瀬戸の土と釉を使って、さらに三度も焼いているので、より複雑な表情をみせている。高麗茶碗の形式が作家をはるか遠い地点に導いた。そんな感想を抱かせる異色の作品である。

《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」
    https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html

《作品情報》径7.6㎝×高さ5.3㎝、共箱付、新品
《販売期限》2024年12月25日
《お届け》御注文から1週間以内に発送いたします。

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