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「高麗のほうへ」展;酒盃 伊羅保刷毛目 通次廣
¥24,200
SOLD OUT
《解説》 今回「高麗茶碗」をテーマにするということで、かねてからインスタを通じてその迫真に迫る高麗ぶりに感心していた通次さんに、ダメ元で出品を打診してみた。インスタにアップされる高麗物の数々は、「なり、ころ、ようす」のすべてが本物と見紛うばかりで、高麗物をレパートリーとする数少ない作家のなかでも群を抜く腕前と見た。御本人とはまだお会いしていないし、作品も端末の画面を通してしか観ていなかったので、危険な判断といえなくもないが、それだけでも、この方の作品の強度は十分感じることができた。ありがたいことに快く承諾頂いて、送られてきたこの伊羅保を拝見して、自分の確信が間違いではなかったことを改めて確信した。本文で最も訴えたかったのは高麗茶碗のもつ「形式」だが、この作品には疑いなくそれが備わっている。こういう器が本物の高麗茶碗たちに混じれば、いかなる厳しい篩にもかかることなく、いつのまにか本物たちの仲間になるのだろう。 伊羅保はそのザラザラとした土肌がイライラしている感じから名づけられたといわれる。日本人が朝鮮半島に注文してつくらせた茶碗の代表格で、祭器としての「原高麗」ではないが、好みのうるさい茶人たちが茶席に合うようその特徴を集めてデザインされているから、いってみれば良いとこ取りの高麗アンドロイドである。伝来する伊羅保は、その造形が比較的おとなしめのものからかなり暴れているものまで幅広いが、通次さんのこの作品は、どちらかといえば後者に属する。とりわけ、がっしりとした高台から胴部のつくりに続く口縁の暴れ方が何ともいい。口縁に不規則なヘラを廻らせて変化のつけられた山道は伊羅保の造形のまさに醍醐味。小石の混じった粗い土肌や伊羅保釉を半身にしか施さないことによる片身替わりもいい。見込みの刷毛目も素敵なアクセントになっている。まさに良いとこ取りのアンドロイドだ。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径8.3㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;小井戸盃 古松淳志
¥15,400
SOLD OUT
《解説》 本文で、日本の茶人たちは高麗茶碗の冷え枯れた風情に惹かれて、それを茶席に導入したと述べた。古松さんのこの作品を観ていると、その当時の高麗茶碗の侘び様はいかにもこんなだったろうと思う。高麗青磁系を含めて広く高麗物に取り組むこの作家は、幾世代も経て伝世される本物たちのこうした風情をとらえるのが実にうまい。風情もまた「ようす」としての「形式」のひとつだとすれば、高麗茶碗には欠かせないたいせつな要素だといえる。 小井戸は、文字通り、所謂井戸に相当する大井戸よりもサイズが小さめだからその名がある。とはいえ、実際には「老僧」や「上林」のように大井戸と大きさがさして変わらないものもあるので、一概にそういえないところが高麗茶碗の「名分」の難しいところである。おそらく、まだ分節化される前は一様に井戸と呼ばれていたはずで、降矢哲男氏によれば、その中の小さめのものを小井戸と呼びはじめて、その後それがさらに青井戸や小貫入に分かれていったのではとされる。残されている井戸から判断するに、大井戸は、井戸のきまり、たとえば、梅華皮、ろくろ目、枇杷色、たっぷりとした碗形等を満たす正統派で、小井戸はそれから少し外れる規格外の特徴をもったものという見方も可能かと思う。 その意味で、古松さんのこの小井戸は、大井戸の規定にない諸々の表現を備えている。小さめで三日月形をした高台、何んともいえず中途半端な梅華皮、立ち上がり切らない胴の湾曲、口縁のべべら、いずれも大井戸からすれば規格外だが、逆にそれが高麗茶碗の大事な魅力でもあるからこれもまた不思議なところである。しかも、作家の神経はこれら細部の表現にまで行き届いていて、この作品をいっそう小井戸の「形式」に迫るものにしている。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.7㎝×高さ4.4㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》御注文から1週間以内に発送いたします。
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「高麗のほうへ」展;鼠志野井戸酒盃 山田洋樹
¥22,000
SOLD OUT
《解説》 今回の企画は、今年の春先から構想されて、夏には実現するはずだったが、遅れに遅れてはや年末である。作家の皆さんにはたいへん御迷惑をおかけしたが、山田さんからは、律儀にも、夏前に「まだ大丈夫ですか?」との問い合わせを頂いた。悪びれもせず、全然大丈夫ですよ、とお返ししたが、作家は自分の納得のいく作品を仕上げるまでまだまだ時間が欲しい様子だった。その後何度か延期のやりとりをしたが、その度に「助かります。次の窯でもう一度焼いてみます。」と、かなりの試行錯誤を重ねているようだった。他の皆さんもそうだが、これほど思いを込めて取り組んで下さる姿勢に感謝というより、逆に恐縮するほどである。その分、寄せられる作品に負けないような文を書くべく力が入るものだから、よけい日程がずれ込んだ。 企画をアップするおおよその日取りが決まって、山田さんから送られてきた作品を拝見して、何度も窯を焼いたそのこだわりがそこに結実しているのを実感した。とくにこの作品の表情には、土と釉薬と炎との凄絶な格闘の痕跡がよく見て取れる。この作品もまた黒を狙った鼠志野だが、作家による土、鬼板、長石釉のコントロールと、炎の偶然が醸すその複雑な表情は、露わになりかけた土肌から長石釉の分厚い層まで、鼠志野という様式がもつ表現域をこの小さな器に凝縮している。土に混じった硅石のかけらも、宇宙の暗闇に輝く星屑のようで、表情をさらに豊かにしている。 口縁から雪崩のように見込みに流れる釉溜まりはこの作品の一番の見どころだが、これは通常の志野の半筒形ではけっしてみることはできない。というのも、半筒の胴部は垂直だからこのような流れ方をしないし、厚めにかけると見込みが不均衡になるからそういう掛け方はしない。この表現は、井戸形のなだらかな斜面があってこそ可能で、その意味では、志野と高麗との出会いが生んだ特別な景色といっていい。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.7㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;朽葉志野井戸酒盃 山田洋樹
¥24,200
SOLD OUT
《解説》 今回山田さんが寄せてくださった作品のなかで、最も異色の作品である。作家から届いた小包を開けて、作品をひとつひとつ確認していると、この不思議な盃があった。何だこれは?形は井戸で、このムラムラとした肌は斗々屋みたいだな。口縁が皮鯨になっているな。いよいよ山田さんも志野以外の表現域を試しはじめたかとさえ思った。しかも、この作品とても良い雰囲気を出している。今回の山田さんの出品作のなかでいちばん高麗に近い。近くにいた嫁さんに、これいい感じやな、と見せると、今回のテーマを知らない嫁さんは「ホンマやね。高麗やね。」という。うんうん、まさにそう見えておかしくない。 御本人に確認してみると、あにはからんや、志野なのだそう。志野の土に不純物を多く含んだ長石釉を薄くかけると、こんなふうに焼き上がるのだそう。もちろん、こんな風情を狙ってのことである。作家にとって、やはり、志野は、最も核心的な表現手段であり、その可能性を様々に広げてこその創作活動だという思いがある。それを「志野以外の表現」とはたいそう無礼な想像をしてしまった。確かに、口縁に皮鯨のようにさしてある鬼板を見た段階で、それに気づくべきだった。井戸や斗々屋ならそんなことをする必要はない。鉄絵は志野を構成する主要な表現手段なのだから、そこに鬼板らしき装飾があることは、作家がここにおいても志野の表現を忠実に追求していることの証たるに十分だった。 作家が「変わった焼きなりになったのでどんな名前にするか迷ってます。何かいいアイデアないですかね?」とおっしゃるので、その紅葉のようなグラデーションをなす様子から「朽葉」を使ってみるのはどうかと提案した。単なる思いつきで浮かんだ名前だが、調べてみると、平安時代からある色の名前で、紅葉の色を指し、当時は赤朽葉、黄朽葉、青朽葉などの細分名もあったそうだ。この作品の肌は黄色っぽい釉調に赤や青がさしているのでピタリかと。作家に伝えたら気に入って頂いた様子。そのときのメールの返信に、この作家のひととなりがよく表れているので、そのまま転載する。「僕は紅葉する木々が大好きで、特にもみじが1番好きで、今の敷地に、7本のもみじを自分で植えて、育てています。大きいものは3メートル以上に育っています。紅葉の時期はもちろん、新芽が出る春先も可愛いですし、葉が落ちる真冬でも、雪が降ると雪の華が咲きますよ。」本作のような優しい作品が生まれる理由がわかろうというものだ。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径8.0㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;青瓷象嵌盃 豊増一雄
¥19,800
SOLD OUT
《解説》※豊増一雄「刻花文青瓷」解説からの続き 「翡色」といわれた高麗青磁には、しかし、その後があって、最盛期を過ぎて高麗王朝の国力が弱体化するにつれて、その精度もまた次第に低下していく。14世紀になると、往時に比べるとかなり粗悪なものが出回るようになって、王朝の終焉とともに、それは、青磁を粗製化したやきものである粉青に変遷していく。この粉青こそまさに高麗茶碗で、日本の茶人たちがその侘びた風情を評価して茶席の人気を席巻した。 だが、かれらの慧眼はその粉青になる手前の粗製青磁の侘びも見逃さなかった。「翡色」から遠くくすんだ灰色で、ときに焼成の不具合で黄色っぽくなった焼き損じにも、冷え枯れた魅力を見い出した。本文で言及した利休愛好の「引木鞘(ひきぎのさや)」などはその代表例で、その青は所謂青磁の一級品に比べるとずいぶんくすんでいるし、象嵌のキレもイマイチである。青磁の正統な基準でいえばB級品であるはずのこの茶碗に、利休たちは積極的な価値を付与した。狂言袴という分類でくくられるこの手の茶碗は、粉青に先立つ高麗茶碗の最も古い種類のひとつとして取り上げられる。先に高麗青磁は高麗茶碗のカテゴリーからはずれると述べたが、その意味で、それは、粉青になる前のその最終形において高麗茶碗に数えられていい。 きれいな青磁を焼くひとはたくさんいるが、豊増さんのように、少しくすんだ、それこそ高麗茶碗に挙げられるような渋い青磁を焼くひとは稀である。焼きが下手なのは容易だが、敢えて下手に焼くのは難しい。それを狙ってできるところがこの方の真骨頂である。その力量を示す対照的な作品を今回送って頂いた。「刻花文」のほうは焼きもよく釉もよく溶けていて、しかも、この小さな器にこれほど精巧な彫り物を施せる技は見事というほかない。「象嵌」のほうは反対にくすんだ釉調とぼやけた象嵌で、高麗青磁末期あるいは粉青初期のあの微妙な陰影を表現している。前者を観ていれば、この方にかかれば「翡色」と呼ばれるほどの作品もさぞや可能だと思うし、「後者」からは青磁のフロンティアをさらに切り拓くパイオニアとしての作家像を読み取ることができる。 写真ではわかりにくいが、いずれの作品も通常の盃のサイズからすると一回り小さい。ちびちび日本酒をやるのももちろんいいが、これに強い洋酒を注いで喉を焦がしながらあおるのもまた一興かと。そうなればおそらく、もういっぱい、を重ねて悪酔いすること必死だとはいえ。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径5.5㎝×高さ5.0㎝(いずれも最大値)、新品、注意:共箱はつきません。 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱御不用の場合、1週間以内に発送いたします。共箱を御要望の方には、表示価格に実費2400円を別途御負担頂きます。御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。
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「高麗のほうへ」展;黄瀬戸柿の蒂盃1 鈴木都
¥18,700
SOLD OUT
《解説》 「柿の蔕を選んだのは特に深い理由があったわけではありませんが、たまたま石ハゼが面白く出る土が手元にあって、それを黄瀬戸の油揚手と合わせたら、柿の蔕茶碗の薄がけ釉の枯れた味わいに共通するようなものになるのではと思ったからです。もちろん、以前から柿の蔕には一度挑戦してみたいとは思っていましたが」。都さんに今回高麗茶碗のなかでもとくに個性の強い柿の蔕を選んだ理由を尋ねると、こんなメールが返ってきた。今度の提案で、作家がどんな茶碗を選ぶか楽しみにしながら想像をめぐらせていたが、柿の蔕に黄瀬戸とは想定外だった。ときに南蛮との類似さえ指摘される柿の蔕に、黄瀬戸の派手目の化粧が似合うとはちょっと想像がつかなかった。だが、送られてきたふたつの作品はいずれもその特徴的な形態と釉景が不思議と調和している。 柿の蔕が高麗茶碗のなかでも侘びの極北に位置することは、機会あるごとに主張してきた。土肌が剥き出しになっているかのような飾り気のないその表情は、侘しい草庵の茶室に、他のどの茶碗よりもふさわしくみえる。ときに苔むす巌にもたとえられるその景色が、実は土と釉薬の微妙な配合による人工的な演出であることを知れば、たとえば、みすぼらしい東屋にみえて当時最高級の建築技術で建てられた利休の待庵のそれとも重なってみえる。侘び茶の侘びは、本当の侘しさからではなく、お金と手間暇をかけてそうありたいという願望から生まれる。その意味で、柿の蔕は、待庵がそうであるように、その特殊な侘びと親和した。その風情とともに、その演出においても侘びの極北にあるのが柿の蔕茶碗である。 だが、私見では、本文でも書いたように、柿の蔕もまた祭器である可能性が高いと思っている。理由のひとつは、その特徴的な形態にある。多くの碗形の茶碗は、この柿の蔕のように、わざわざ胴部を張り出すようなことはしない。実用性だけを考えれば、この張り出しは不要で、むしろ邪魔になるとさえいえる。井戸や三島などの碗形の茶碗には、このような造形はほとんど見当たらない。唯一例外が、似たような、しかし柿の蔕ほどでない張り出しをもつ蕎麦茶碗くらいである。その意味では、蕎麦もまた祭器であるかもしれないとも本文で述べたが、その不自然な器形と、申翰均氏が指摘した小さな高台という特徴からしても、両者は祭器由来である公算大とみている。(鈴木都「柿の蔕2」の解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径9.5㎝×高さ4.5㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;黄瀬戸柿の蔕盃2 鈴木都
¥18,700
SOLD OUT
《解説》※鈴木都「黄瀬戸柿の蔕1」解説からの続き 柿の蔕茶碗は、斗々屋や蕎麦とともにひとくくりに扱われることが多い。製法が粉青に由来するとみられていることに加えて、焼成時期もほぼ重なるとされているからである。その意味では、高麗茶碗の隆盛期の前期を占めるといってもいいが、それだけ原高麗に近いということでもある。さらに、柿の蔕は、蕎麦と同様、伝世する古作が三十碗ほどと極端に少ない。小田榮一氏は、同種の茶碗なのに斗々屋だけが多く、そこには後世の作が混ざっているのではないか、と指摘している。これを裏返せば、柿の蔕や蕎麦の独特の「形式」は、複製品をつくるにはかなりの難度があるということではないか。斗々屋は素直な碗形だし、割高台や御所丸など特徴のはっきりしている形式は、それを際立たせれば似せられるので、比較的容易に真似られる。だが、柿の蔕や蕎麦のあの微妙な碗形をそれらしくするには「形式」を熟知した確かな腕前を要請する。それもまたこれら特異な形の茶碗を原高麗と比定する理由のひとつである。 その点、都さんは、ずっと気になっていただけあって、柿の蔕をしっかりとらえている。いっけんミスマッチとも思える黄瀬戸の様式をそこに合わせても、柿の蔕を感じさせる「形式」を維持させているのがその証左である。胴紐の黄瀬戸で釉調にムラを起こすなど考えられないが、この作品では黄瀬戸の釉薬を使って、あたかも柿の蔕のような釉景色を実現している。そして、油揚手の黄瀬戸にみられるコゲをうまく使って、本歌の寂びた感じを出しているのもいい。作家自身が説明しているように、石ハゼを景色とする粗い土も本歌のあのゴツゴツした感じを彷彿とさせる。少しわかりにくいが、高台の畳つきを志野のそれのように二重にしているのは作家の遊び心によるものか。 都さんは、こちらがお願いする企画に複数出品してくださるときは、いつも違った種類を御用意くださる。それが今回柿の蔕というひとつの種類の違うバージョンを提供して頂いたのは、その「形式」がよほど作家の感性に触れたからだろうし、加えるに、この両作品のいずれも捨てがたい焼き上がりだったからだろう。確かに、「1」のほうは黄瀬戸と柿の蔕それぞれの形式のぶつかり合いが、「2」のほうはその暗い土肌の本歌への迫り様が、それぞれ味があって、どちらが優れているともいい難い。このふたつの作品を、仁王像の阿形と吽形のごとく対で鑑賞できる楽しみは、ショップ運営者のみに許された特権だが、それを多くの方々と共有できないのは少し残念でもある。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径9.5㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;茂山的本沼手黄瀬戸窯変酒盃 松村遷
¥17,600
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《解説》 本作、「窯変」とありながら黄瀬戸である。「ながら」と逆接にしたのは、本来の黄瀬戸は窯の具合で不均質になることを避けるやきものだからである。その肌は均質な油揚げ色にするのが王道で、松村さんの作品の中心にあるのは、やはり本格黄瀬戸である。だが、今回、「高麗」というテーマに接したことで、作家は薪窯を選んだ。多くは語らないが、おそらく、高麗といえばあのムラムラとした窯変がまず頭をよぎるのだろう。確かに。そして、作家は三度も窯を通した。結果、いつもの黄瀬戸とはまったく異質の黄瀬戸が生まれた。 「茂三」は、本文で書いたように、対馬藩が釜山に設置した倭館窯で焼かれた御本茶碗のひとつ。同じ倭館で焼かれた茶碗に、玄悦や弥平太がある。茂三は、その倭館窯で陶工頭を務めていた中庭茂三という人物の名前から来ていて、かれは陶工ではなく、窯の運営を司る対馬藩士で、実際に制作に当たったのは、主に朝鮮の陶工たちだった。茶碗の名前になっているのは、茂三が陶工頭だったときに焼かれたとの単純な理由らしい。陶工頭が玄悦だったときには「玄悦」、弥平太のときには「弥平太」。原高麗が日本における高麗ブームの初期の作とすれば、茂三などの御本が焼かれたのは後期で、その形状も、井戸や粉青などからすると、かなり作為的といえる。御本茶碗の魅力のひとつである。 松村さんはその形に惹かれた。かなりニッチなところを突いてくるなと思って理由を尋ねたら、上にスッと伸びていくようなその形状が気に入ってこの形式を選んだという。茂三はときに「茂山」と標記されることもあって、作家は敢えてこちらの山のほうを採用した。「何となくそっちの方が合っている」ように思ったというその理由ははっきりしている。この作品の焼きなりがまさに自然そのもので、数字よりも自然を想像させる山のほうがよほどピタリと来るからだ。高麗物のムラムラを通り越して釉が雪崩を起こし、高台辺りに見え隠れする本来の黄瀬戸の表情と激しいコントラストをみせる。まるで唐津の斑のようだが、この表情は黄瀬戸の土と釉を使って、さらに三度も焼いているので、より複雑な表情をみせている。高麗茶碗の形式が作家をはるか遠い地点に導いた。そんな感想を抱かせる異色の作品である。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.6㎝×高さ5.3㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》御注文から1週間以内に発送いたします。
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「高麗のほうへ」展;御所丸黒織部ぐい呑み 西岡悠
¥17,600
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《解説》 本文で御所丸と古田織部の関わりについて触れたが、この企画で西岡さんに出品をお願いしたとき、頭の片隅に御所丸に関連した作品にならないかと望んでいた。この方の仕事の中心には黄瀬戸があるが、これも含めてその射程は、広く桃山茶陶の織部スタイルにあるからだ。美濃陶のボキャブラリーをもって、その可能性を様々な角度から試しているのがそのやり方で、まるでパズルを解くかのように新しい桃山陶を拓いていく。与えられた条件だけに安住することなく、少しずつ対象をずらしてそれを創作につなげていく様は、それこそ織部のスタイルに通じるところがある。 御所丸はその織部が朝鮮半島に注文して焼かせたという説がある。その歪んだ造形が所謂織部焼のそれに似ていることがその根拠となっているが、それに加えて織部が愛蔵したと伝えられる御所丸茶碗「古田高麗」の存在が、その説の信憑性をさらに高めている。林家晴三氏は、文禄・慶長の役の際、日本勢の拠点となった肥前名護屋城にいた織部が密かに朝鮮半島に渡って焼かせたのではないかというし、「井戸=祭器」説を唱えた申翰均氏でさえ、この独特な造形は特別な才能をもった茶人でなければ思いつかないと述べている。 だが、これらの主張の基となっている根拠は、実証的な裏付けが期待できるどころか、上に述べたようにごくほんやりとした印象や伝承にすぎない。だから、林家氏の推測も、申氏の想像もさほど説得力のないぼんやりした領域にとどまっている。御所丸の歪んだ形が織部のそれに似ているからといって、それが織部の指導の下でつくられたとどうしていえるのか。高麗茶碗には割高台や金海をはじめとして歪んだ茶碗は他にいくらでもあるのに、だとすれば、それらもまた織部の発想から来ていることになるのか。御所丸の形が特異性を帯びてるのは確かだとしても、それを織部の天才によるものとどうしていえるのか。「古田高麗」以外に織部の手になる茶碗で、同じ強度でその特異性を主張するほどのものがあるか。(西岡悠「御所丸総織部」解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》幅8.6㎝×奥行7.5㎝×高さ5.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;井戸ぐい呑み3 柳下季器
¥22,000
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《解説》※柳下季器「井戸ぐい呑み2」解説の続き もっとも、井戸のなかの小分類はその定義がいうほどわかりやすくはない。小井戸のなかにも大井戸と変わらない大きさのものがあったり、青っぽくない青井戸があったり、井戸脇と小井戸の違いがさほど明確でなかったり、小貫入といいながら井戸の多くには細かい貫入があったりして、初見でそれを分類しろといわれたら、戸惑ってしまうケースはたくさんある。小分類の定義は、だから、厳密とはいえない。それは、この分類が誰かひとりの茶人やひとつの機関によって決定されたのではなく、長い年月を通じて多くの茶人たちの実践の積み重ねを経て生まれたものだからにちがいない。呼称は共通しているが、実はその基準には複数の視点が交差しているというわけだ。 柳下さんに今回の出品を依頼したら、「自分は井戸になると思いますが、それでいいですか。」との返答だった。もちろんいいに決まっているが、そこには、作家の作陶に向かう姿勢と、高麗茶碗についての理解が顕著に表れている。まず、柳下さんにとっての高麗茶碗とは、とりもなおさず井戸であるということだ。それは、井戸が高麗茶碗のなかで最も高い「名文」をもっていることと無関係ではない。桃山茶陶の様々な茶碗と対峙するこの方のスタイルは、つねにそれぞれの形式のなかでも最高とされるものに立ち向かう。長次郎しかり、光悦しかり、美濃陶しかり。そうしてはじめて作家の創作意欲は刺激され、それをとおしてその腕も磨かれていく。目標は高ければ高いほどいいということでもあろう。そして、いったん照準を定めたら、それを徹底的に突き詰める。それが柳下さんの作家としての姿勢にほかならない。 この方の腕前であれば、井戸以外の高麗茶碗に取り組んでも、相応の作品はできるはず。そこに敢えて踏み切らないのは、井戸という形式が作家のなかでまだ汲み尽くされていないからだ。「伝世する井戸のなかには雨漏りのしているものがありますが、今回の作品は使い込めば雨漏りが出るようにちょっと仕掛けがしてあります。見かけはこれまでの作品と変わりませんが」。いくら井戸に挑んでも、まだまだ新しい作品づくりはできる。それほど、その世界は深くて広い。雨漏りの件ひとつとってもそうだし、三つの井戸のそれぞれに違う表情が、柳下井戸の底知れない可能性を物語っている。この方の場合、井戸と向き合うことがすなわち高麗茶碗に向き合うことに等しいということである。 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径8.1㎝×高さ4.4㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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「高麗のほうへ」展;交趾ぐい呑1 柳下知子
¥11,000
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《解説》 柳下さんとは旦那さん(季器さん)の奥さんとしてのおつきあいが長かった。工房にお邪魔するときに少しお話したり、一度は家族で伊賀を訪れて皆で食事を楽しんだりした。旦那さん同様、御自身も作陶に携わるとは伺っていたが、その間育ちざかりの息子さんとかわいらしいお嬢ちゃんの子育てで手一杯で、作家活動はしばらく休止しているとのことだった。最近になってそれもひと段落したようで、ぽつりぽつりと作品をつくるようになって、旦那さんとの二人展やグループ展でお披露目するようになった。 その作品を拝見して、とくに交趾が面白く、その今風の解釈に魅かれるものがあった。交趾といえば、真っ先にイメージされるのが茶道具で、とくに香合は茶席のワンボイントを華やかに飾る道具として印象的である。侘びを求める他の茶道具がどちらかというとおとなしめの色合いなのに対して、交趾は、その鮮やかな色で茶席の華というにふさわしい。交趾焼は中国南部のやきもので、それが交趾船によって運ばれたためにその名があるというが、現在われわれが目にする多くは国内産の写しで、とくに京焼のそれが有名。仁清や木米を生んだ京焼の系統にあるから、それは、かなり派手目のやきものになっている。 それはそれで魅力的だが、柳下さんのそれは、色合いを抑えめにして、しかも釉薬も濃淡を意識してとてもシックな交趾を実現している。京焼とは違う様相で、しかも日常使いの器にそれを応用しているので、交趾といってもそれとは異質なやきものだといっていい。これを翻せば、この方の作品は、交趾という特殊なやきものを茶室から解放し、それが様々なライフスタイルにおいても活用できることを示している。「今風の解釈」と形容したのはそういう意味からである。(柳下知子「交趾ぐい吞み2」解説に続く) 《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html 《作品情報》径7.4㎝×高さ5.0㎝、共箱付、新品 《販売期限》2024年12月25日 《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 染付酒盃① 豊増一雄
¥19,800
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《解説》(豊増一雄「染付茶盌」の解説からの続き)だが、この話、利休が気に入らないから打ち割ったというのはいかにも乱暴な話だし、本歌を写真でみる限りでは、打ち割られたほどの大きな繕い痕もみあたらない。第一、気に入らない茶碗ならばなぜ利休は宗二から受けとったのか、辻褄の合わないことが少なくない。さらに、この茶碗、もともと茶碗としてつくられたのではなく、いかにも利休が好みそうな半筒形をしているから、かれが使ったといわれても違和感はない。何よりこの魅力的な「紀三井寺」という茶碗が現前と存在しているだけに、宗左の証言に唯々諾々として納得するには少々抵抗感が残る。実際のところはよほどの新しい発見がなければわからないだろうが、それはそれとして、こうも考えることができる。宗左の初めの引用文のなかで「今の人はこれを知りません」という指摘があるが、この背景には、利休好みだといって染付を重宝がる当時の風潮があったのではないか。染付を茶席で多用するようになったのは遠州からで、日常使いでも有田の磁器が世の中に普及して、陶器は古臭いやきものとして追いやられていった。陶器が中心だった侘び茶原理主義者であった宗左からすれば、ともすれば染付をありがたがる当時のそんな風潮を苦々しく思っていたのではないか。だから、真の侘びは染付にはないことを利休にかけて訴えようとした。(豊増一雄「染付酒盃」②の解説に続く) ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12762487113.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091662321.html 《作品情報》(寸法)w6.5㎝×h5.2㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》御注文後に共箱を発注いたしますので、発送は三週間以降になります。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 今焼黒ムキ栗ぐい呑み 柳下季器
¥24,200
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《解説》長次郎の数ある茶碗のなかで「ムキ栗」はまさに異形の茶碗である。利休が碗形ではなく筒形の茶碗を愛したことは、伝世の高麗茶碗や長次郎の造形で知ることができるが、それでさえも、当時としては新しい茶碗の形として受けとめられたことが想像できる。だが、この茶碗としては異例の四方形をした「ムキ栗」は、その比ではなく、これはいったい何だとの驚愕を茶席に引き起こしたにちがいない。まさに「崇高」な茶碗といっていい。それなのに、当時の茶会記にこれに関する記述は見当たらない。長次郎の茶碗は「宗易形ノ茶碗」、織部の茶碗は「ヒツミ候也 ヘウケモノ也」と記録されているから、何かそれまでとは違う趣向があれば、誰かがどこかで書き残すはずである。あるいは、利休はこの茶碗を茶席で使わなかったのではないかとの考えさえ抱かせる。さらに、現代にあっても、長次郎や利休好みを紹介する解説本でその特殊性を強調する向きは少なく、この形が利休好みの「四方釜」から来ているとか、せいぜい当時としては珍しい形などと指摘するだけで素通りする。どうも「ムキ栗」は過小評価されていないか。この茶碗があまりにも利休のイメージから離れていて、所謂侘び寂びの利休を語ろうとするには不向きだから敬遠されるのか。そんなことはない。本文でも散々書いたが、「ムキ栗」のように茶碗の概念を破壊するような実験をするのが利休の茶の狙いである。その意味で、それは、利休の侘び茶の極北を行く茶碗である。今回の企画には不可欠な造形なので、柳下さんに無理をいって御提供頂いた。四方の形もさることながら、全体の茶褐色のざわざわ感がとてもいい。 ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12758772393.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10100913419.html 作家HP http://www.hideki-yanashita.com/ 《作品情報》(寸法)w5.4㎝(一辺)×h5.1㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日まで 《お届け》ご注文から5日以内に発送いたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 赤聖ぐい呑み 柳下季器
¥22,000
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《解説》利休がとくに好んだとされる茶碗として「利休七種茶碗」が伝えられる。そのなかの三碗は所在不明になっていて、その姿を知るには後世の写しによるしかない。長次郎黒の代名詞ともいえる「大黒」や利休百回記で多用される「木守」など、利休好みを象徴する名碗が選定されているいっぽうで、十五代樂吉左衛門氏は、造形面からみて長次郎とは違う茶碗が紛れているのではないかと疑問を呈す。近年、それを裏づける資料が表千家で発見された。利休の曾孫に当たる江岑宗左が残した文書に、七種のなかの「早船」は「駿河」という陶工が、「検校」は「有楽」がつくったと記されていたという。七種茶碗は別名「長次郎七種」とも呼ばれ、後世がつくりあげたイメージがいかに実体から離れているかを物語る。柳下さんが取り組んだ「聖」は、これとは別に選定された「利休外七種茶碗」のひとつ。この茶碗のことを知らなかった筆者は、作家から「外七種」のうちのひとつだと教えてもらった。胴に入った大胆なひび割れに目を奪われるが、これも、疑ってみれば、長次郎というよりも織部や瀬戸黒の造形に近いようにもみえる。ただ、そのオリジンがどうであれ、名碗だからこそ伝来していることだけは間違いない。「聖」の場合、胴部のニュウもさることながら、高台周りの様子が他の茶碗にはみられない様相で、ぜひ本歌を観てみたいものだと強く思う。 ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12758772393.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10100913419.html 作家HP http://www.hideki-yanashita.com/ 《作品情報》(寸法)w6.6㎝×h5.2㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日まで 《お届け》ご注文から5日以内に発送いたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 白ぐい呑み 柳下季器
¥22,000
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《解説》長次郎茶碗には赤と黒しかない。白は二代常慶からといわれ、楽にとっては新しいこの釉薬で香炉をつくったことから、「香炉釉」という別名をもつ。併せて、常慶は、これを用いて井戸形の茶碗を焼いた。長次郎の茶碗はそのほとんどが半筒であるとともに総釉掛けであったのに対して、この茶碗は、土見せになっていて、二代目とされる常慶がいかに長次郎との差異を表現しようとしていたかを物語る。そして、その常慶から作陶の手助けを受けた光悦にいたって、楽の白は開花する。「不二山」や「冠雪」、「白狐」は、赤や黒では表現力し得ない叙情性を楽にもたらした。柳下さんは、その歴史を逆手にとって、白で長次郎をこしらえた。造形はまさに利休好みの形になっているが、色が白に変わるだけで、光悦の白の作品たちがそうであるように、いまにも何か物語が生まれそうな饒舌性を帯びる。長次郎の黒が多声によるざわめきだとすれば、こちらは、単声による歌にも喩えられようか。長次郎の手づくねを忠実になぞった造形に、淡い焦げが白に対するアクセントになっている。器胎には貫入がびっしり入っているので、使い込んだらきっとまた別の表情が生まれてくるだろう。 ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12758772393.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10100913419.html 作家HP http://www.hideki-yanashita.com/ 《作品情報》(寸法)w6.9㎝×h5.5㎝、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》御注文日から5日以内にショップから発送いたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 道陳お好み的本沼手黄瀬戸酒盃 松村遷
¥15,400
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《解説》利休の師とされる北向道陳が好んだという茶碗。高台内には利休の花押がついているという。黄瀬戸の原型ともいわれるこの茶碗に、ついに松村さんが取り組んで下さった。これまで織部のときも、光悦のときも、御自身の自由なイメージを作品化されてきたので、今度もまた利休のイメージと黄瀬戸を融合させるものと思っていたら、数ヶ月前に個展でお会いしたときに、この「道陳好み」にチャレンジしていると話して下さって、感激。これまで世の黄瀬戸作家にこれをずっと期待してきたが、知名度の問題か、見た目が地味なせいか、どなたも興味を示さない。だが、この茶碗は、道陳の生きた時代(1504~62)にすでにこの手の焼き物がつくられていたという考古資料としても、後の長次郎の造形にも通じる半筒という形式論的観点からも、きわめて重要な位置を占めているのだ!。さらに、本歌の釉調は、黄瀬戸として伝世する油揚手ともぐい呑み手とも違って、くすんだ表層の下から鮮やかな黄が漏れでてくるかのような沈静した表情をみせる。よくぞ、この難題に真正面から挑戦して下さった。作家には感謝しきりである。ところが、これ、相当難産だったようで、満足のいく作品がとれずに何度も窯焚きを繰り返したそうだ。結局、作品が手元に届いたのは、連載が始まってから。だが、苦労された甲斐あって、出来映えは観てのとおり。油揚手ともぐい呑み手とも異なる「道陳好み」の特別な黄に仕上がっている。 ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12762177470.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10113945879.html 《作品情報》(寸法)w7.2㎝×h5.2㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》御注文後に共箱を発注いたしますので、発送は三週間以降になります。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 朝鮮唐津ぐい呑み 岡本作礼
¥17,600
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《解説》(「斑唐津」解説からの続き)当時波多氏の当主であった親(ちかし)は秀吉の九州征伐からその直臣になるが、それは、すでに大陸出兵の野望を抱いていた秀吉が、親の治める名護屋の地が本陣を構えるにうってつけであることを見越していたからだともいう。ところが、もともと九州攻めに加わらなかったことから秀吉の不興を買っていたうえに、名護屋を本陣とすることに反対意見を述べたり、いざ朝鮮に出兵しても軍令違反を犯すなどしたために、ついに秀吉の逆鱗に触れ、戦地から呼び戻されたものの帰陣さえ許されず、領地没収を告げられて常陸の国の筑波に配流の身となった。代わってこの地を拝領したのが寺沢広高で、かれは、織部の門下の数寄大名で、波多氏の没落によって離散した岸岳の職人たちを再び呼び寄せて窯を復興し、そこに新たに半島から連れて帰った陶工たちを加えて唐津の窯業振興に取り組んだ。中里氏は、波多氏の時代に焼かれた唐津を「岸岳古唐津」、寺沢氏によるそれを「それ以降」と分類して考察しているが、今に伝わる織部好みの唐津は「それ以降」の時期に生産された唐津であることが推測される。(岡本作礼「斑唐津皮鯨」解説に続く) ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12759987006.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091663571.html 《作品情報》(寸法)w5.3㎝×h5.9㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》御注文日から5日以内に発送いたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 伊羅保皮鯨ぐい呑み; 杉本 玄覚 貞光
¥66,000
SOLD OUT
《解説》伊羅保は、日本の茶人が韓半島に注文して焼かせた御本茶碗のひとつとされる。草庵の茶室にふさわしい侘び枯れた風情を茶人たちは伊羅保という形式でプロデュースした。刷毛目や粉引、井戸、斗々屋など、半島で発生した本手高麗茶碗たちが茶席で当たり前に使用されるようになった後に注文されているので、いっけんその系譜にあるとみえて、実は茶人たちの作為に満ちている。ろくろを引いているうちに切れてしまった口縁に別の土を足した跡であるべべら、釘で掘ったように渦巻き状をなす釘掘り高台、釉薬を掛け分けてひとつの器胎にふたつの釉調を表した掛け分けなど、すべて茶人たちの作為である。器の形も、どちらかというと大きく崩したり、ダイナミックにうねるようなものが多い。本手高麗の流行を受けて、茶人たちが自分たち独自の表現を求めた結果として生まれた茶碗である。その発生期も新しく、主に17世紀に入ってからになるから、利休は、もちろん、伊羅保を知らない。杉本師のこの作品は伊羅保というこの形式のもつ人為性を逆手にとっているようにみえる。つまり、伊羅保茶碗から、茶人たちが見どころとして加えた人為的要素を敢えて取り除くことで、あたかも本手の高麗茶碗たちに備わっているかのような枯淡で素朴な表現を結実させた。利休の引き算的な発想からしかるべくして生まれた伊羅保といっていい。その意味で、師の営みはつねに利休のスタイルに通じている。 ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12759628421.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10109146329.html 作家HP http://sugimoto-sadamitu.jp/ 《作品情報》(寸法)w7.8㎝×h4.0㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》共箱を手配するのに約三週間頂きますので、発送はその後になります。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 利休斗々屋盃 内村慎太郎
¥22,000
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《解説》諸説あるが、利休が堺の「魚屋(ととや)」でみつけたことから「利休斗々屋」という銘がついたとも伝えられる。本歌の茶碗は織部、遠州へと引き継がれ、箱書の「ととや」は遠州の筆による。「斗々屋」と名がついているものの、高麗茶碗の所謂斗々屋とは趣を異にする。本手斗々屋は素直な碗形で平斗々屋は平鉢形、いずれも利休斗々屋のように端反りの口縁も、ゆるやかにふくらむ胴もない。また斗々屋を最も特徴づけるムラムラとした釉調にも欠けるので、この茶碗はそれとは別の茶碗とみるのが適切だろう。他に似たような茶碗がないことからも、見立てであるとはいえ、利休独自の造形といっていい。本文でも触れた「ハタノソリタル茶碗」は長次郎ではなくこの茶碗だった可能性さえあると筆者は思っている。それほどにこの茶碗は利休的だ。内村さんは早くからその独特な造形に着目されて、自作のレパートリーにされていた。この手の作品に取り組む作家は他になく、今回利休をテーマにすると決めたときから、内村さんの作品は必須と思っていた。幸い、作家には快く御承諾頂いて、すでに何度も試行錯誤を繰り返してきた堂々たる利休斗々屋を出品して頂いた。全体の造形はいうまでもなく、赤っぽい土の表情、釉薬の流れ具合、見込みの目跡にいたるまで、神経の行き届いた造形を実現している。この方の作品を拝見する度に、観ることとつくることは同一であることを痛感する。 ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12759071937.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091663228.html 作家HP http://raizanbo.com/ 《作品情報》(寸法)w9.5cm×d9.0cm×h4.5㎝、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》御注文日から5日以内にショップから発送いたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 黒漫画ぐい呑み 深見文紀
¥19,800
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《解説》いつも本格美濃作品を出品して頂く深見さんだが、今回は漫画がらみの作品となった。ただ、手元に届いた作品には「正面」というシールが貼られていて、敢えて赤い刀傷が背面にくるような設定がしてあった。作品の個性を前面に出そうとすれば、この赤い刀傷はとても魅力的。かねてよりこの方の造形力に魅了されている筆者に配慮して下さってのことかとも思ったが、単純に黒の造形を観てほしいとの作家の思いからだろう。いつも主張しているように、深見ワールドは漫画だけではないのだ。それを受けて本文ではこちらも敢えて漫画も刀傷もみえない正面からの写真を用いた。長次郎と瀬戸黒が融合した堂々たる黒である。漫画は「花の慶次」に登場する「バキバキムキムキ」の利休をモデルにしたとこのこと。前に松村遷さんも同じ漫画を話題にされていたので、よほど人気なのだろう。深見さんによればそこに登場する利休は、この絵のとおり「戦闘もいける人」なのだそう。作家からそれを伺ったとき、ドキッとした。本文では、一般に流布する茶聖利休ではなく、むしろ闘う利休を強調していたからだ。まさかテレパシーでも使って事前に本文を読んでいたのか。あるいは、漫画の作者が「利休遺偈」を同じように解釈されているのか。ぜひ一度読んでみたいものだ。刀をもった利休と背面の刀傷の取り合わせがシャレている。まるでこのバキバキの利休が見込みから飛び出してきて一太刀くらわせたかのような躍動感を演出している。筆者のようなヒネた者ならともかく、純粋な深見ファンにはこちらを正面としたほうがいいような気もする。 ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12761572021.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091662107.html 《作品情報》(寸法)w6.8㎝×h5.7㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品。 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》御注文から箱を発注いたしますので、お届けまでに三週間程頂戴いたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 志野ぐい呑み 山田洋樹
¥18,700
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《解説》近年の発掘調査によれば、志野が主に巷に流通したのは慶長年間(1596~1915年)とされる。ちょうど利休が活躍した頃の茶会記に「志野茶碗」と呼ばれる茶碗が出てくるので、志野はもっと以前からあったと長らく考えられてきたが、これは、足利将軍家の同朋衆で香道を興したことで知られる志野宗信由来の茶碗で、所謂志野焼とは別物。利休が亡くなったのは天正19年(1591)だから、かれの生きた時代にはまだ志野は焼かれていなかったことになる。利休晩年の茶席で秀吉が黒茶碗を嫌うために差し替えたという「瀬戸茶碗」を志野だとする専門家が多かったが、土中から発掘された志野の陶片たちはそれを否定した。ただ、秀吉は慶長3年まで生きたから、辛うじて接点はあったかもしれない。いずれにしろ、志野は、利休や秀吉の時代のやきものというよりも、その後の時代、つまり織部が活躍した時代のそれというべきだ。造形的にも破格のものが多く、志野と織部との深い関わりを示唆している。山田さんも、もちろん、そのことを知っている。知っていて敢えて志野で利休を表現する。今回出品して頂いた二点の作品は、山田さんが志野作家として利休にアプローチしたひとつの結果である。(「志野輪花ぐい吞み」解説に続く) ※参考 「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12760344980.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091663496.html 《作品情報》(寸法)w6.3㎝×h5.9㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》ご注文から5日以内に発送いたします。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」 ; 黒旅枕盃 鈴木都
¥16,500
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《解説》今回の企画展のために都さんから送られてきた梱包を開いたら、不自然に立て長の包みがあったので、なんだこりゃ?。包装材を解いてみてビックリ!。あれれ、これは「拾い子」ではないか。利休愛用の黄瀬戸花入で、胴の中程が鼓の持ち手のように締まっているので、一般に立鼓花入と呼ばれる。同種の黄瀬戸立鼓花入で「旅枕」という伝世品もあって、これも利休愛用とされる。黄瀬戸は格の高い中国の様式に倣った古作が多く、花入では、青磁や胡銅のそれを模したケースがほとんど。金色に輝くその特殊な色彩が、破格の造形を許さなかったとみえる。ただ、「拾い子」も「旅枕」も、青磁や胡銅のようにキリっとしているかというとそうではなく、釉調は柔らかく形も少し崩れている。そこに侘びた風情を感じたのか、利休はこれを好んで使用した。これをぐい呑みに応用しようとの作家の発想に脱帽。まさかここまでやろうとは!。しかも、都さんなら黄瀬戸でも十分面白いものができるはずなのに、敢えて黒を選んだ。そこはそれ、やはり利休をイメージしてのことだろう。ただし、この黒、長次郎のではないし、瀬戸黒のでもない。作家に尋ねると「どちらかというと織部黒の黒」なのだそう。う~ん、パッと見、黒唐津みたいだけどなあ。いずれにしろ、この黒と立鼓とぐい呑み、ふだん出会うはずのないもの同士が新しい造形を生んでいる。 《参考》 ・「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12752865791.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091662288.html ・作家HP http://suzukishu.com/ 《作品情報》(寸法)w5.6㎝×h9.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》共箱の手配に約3週間頂きますので、発送はその後になります。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 三河唐津ぐい呑み 鈴木都
¥16,500
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《解説》「三河唐津」というその名のとおり、唐津といっても、作家の工房の近くの豊田市で採取した土を使っているという。美濃には古くから美濃の土で唐津風の作品をつくってこれを「美濃唐津」と呼んだところから、作家はこれに一捻り入れた。豊田を「三河」と認識して下さっているところが、豊田出身の筆者としては嬉しい。一般に、豊田というと、あゝ、名古屋のことね、と返されることが常なので。この「三河」土、石ハゼが多くてざんぐりしているようで、高台の土見せをみると逆にねっとりしていて、かなり個性的な表情をしている。敢えて「三河」というだけのことはある。白っぽい土のなかに小さな石の粒が無数に埋まっていて、これが石ハゼやひび割れや斑模様となって多彩な表情の元となっている。高台の鮮やかな火色もいい。作家はこの作品を利休愛用と伝わる奥高麗茶碗「子のこ餅」を下敷きにつくったが、この土から唐津をつくると、本場のそれとはまた別の魅力を湛える。志野の作家として名をなしてきた都さんだが、最近は他の様式、とくに唐津に積極的に取り組んでいる。この「三河」土との出会いによって、唐津様式の新たな展開がみえてきたのではないか。この作品は十分そのメルクマールとなっている。 《参考》 ・「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12752865791.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091662288.html ・作家HP http://suzukishu.com/ 《作品情報》(寸法)w5.9㎝×h5.2㎝、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》共箱の手配に約3週間頂きますので、発送はその後になります。
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千利休生誕500年特別企画「利休賛」; 斗々屋盃 鈴木都
¥16,500
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《解説》都さんには企画展を始めたときからずっとお付き合い頂いているが、今回の利休というテーマについて、こちらからお願いしたときには具体的なイメージが沸かなかったようで、逆に筆者が利休に対してどんなイメージをもっているか尋ねられた。いざ、そんな問われ方をすると、確かに織部や光悦に比べて利休には誰もがすぐに浮かんでくるイメージはない。ただ、「聖利休」のプロットから利休好みの茶碗を分類すると、先人や周りのマネをする凡庸な利休が、珠光青磁や天目、井戸を用いたのに対して、覚醒した利休は、利休斗々屋、長次郎、道陳好みの黄瀬戸、子のこ餅などの新しい様式をつくった、みたいなことを書いてメールした。その半年後に届いた作品は三作。どれかひとつに絞り切れなかったという。確かにいずれも捨てがたい。ひとつだけいえるのは、どれも覚醒した利休の好む様式に基づいているということ。作家が利休のどこに惹かれているかがよくわかる選択である。利休斗々屋はその最たるもののひとつで、いっけん地味な様式にみえるが、似たような茶碗は他にない。これぞ実は利休のイメージの中心を射抜いている。都さんはこれを工房近くの豊田の土で拵えた。この土味がまたいい。この土肌、焼き上がったそのままなので、相当面白い育ち方をするだろう。成長した先の姿をぜひ観てみたい作品だ。 《参考》 ・「ぐい呑み考」 https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12752865791.html https://ameblo.jp/guinomikou/theme-10091662288.html ・作家HP http://suzukishu.com/ 《作品情報》(寸法)w8.4㎝×h3.7㎝、共箱付、新品 《販売期限》2022年11月30日迄 《お届け》共箱の手配に約3週間頂きますので、発送はその後になります。
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