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「高麗のほうへ」展;蕎麦脇盃 古松淳志

¥15,400 税込

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《解説》
 「蕎麦」ではなく「蕎麦脇」である。「脇」という語は「井戸脇茶碗」という分類があるように、井戸とは呼べないがその脇にあってもおかしくない出来のものという意味。古松さんは本来もっと違った発色を狙ってられたようだが、それとは違うものの思っていたよりも面白い表情に焼きあがった。これはこれで良いとの判断から今回の出品にいたった。だが、厳密にいえば蕎麦とは違うので「脇」をつけて作品化した。作家が蕎麦の「形式」を厳格に意識されている証拠である。だが、「脇」は「脇」でも確かにいい。

 他の多くの高麗物と同じく、蕎麦の名前の由来はわからない。「そば」かすのような肌合いをしているから、とか、井戸に風合いが似ているから井戸の「そば」ともいわれるが、そばかすはいかにもこじつけっぽいし、井戸のそばならそれこそ「井戸脇」でいいだろう。より大きなくくりでいえば、蕎麦や斗々屋は、三島や粉引などの粉青系の釉薬をごく薄くかけたもので、それが土とあいまって、片身替りやグラデーションなど、微妙な色彩の濃淡をかもすところが見どころのひとつ。粉青よりもよほど枯れてみえるのも、古来この手の茶碗が侘び茶人たちに好まれた理由だろう。平碗の部類に入るが、腰のところが出張った独特のかたちもこの茶碗の特徴のひとつ。柿の蔕と並んで伝世する蕎麦茶碗は少なく、稀少種の部類に入る。

 古松さんのこの作品を「脇」とした器の発色は、むしろ、このほうがわれわれがふだん食べ親しむ蕎麦の色に近くて、いかにも蕎麦というにふさわしい。釉薬の濃淡から生まれるグラデーションや土の表情、粉引でいう「火間」もあって、しかも高台周りには微妙に梅華皮みたいな様子もみえて、とにかく見どころの多い作品である。さらに、見込みには、蕎麦には不可欠な鏡落ちや目跡もしっかり押さえられていて、どこから観ても楽しい器である。こんな渋い蕎麦という形式を選んで下さった古松さんに改めて感謝である。

《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」
    https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html

《作品情報》径9.0㎝×高さ3.6㎝、共箱付、新品
《販売期限》2024年12月25日
《お届け》御注文から1週間以内に発送いたします。

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