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《解説》※西岡悠「御所丸総織部」解説からの続き
だから、御所丸が織部の指導の下で焼かれたという織部御本説は多分に怪しいと思っている。もちろん、怪しいという根拠もぼんやりしているから、確信をもって断言できるわけではない。それでも、御所丸のあの複雑な造形が織部の天才によるものといわれると、それは違うのではといいたくなるのも、上に述べた背景を考えるなら致し方ない。というよりも、本文では敢えて触れなかったが、古代中国の青銅器のなかに御所丸の原型となったのではないかという祭器「簋(き)」があることからしても、織部の天才云々はどうしても眉唾ものに思えてならない。だが、何も証拠がない以上、いずれも憶測の域をでない。
御本人に確認したわけではないので、これもまた憶測にすぎないが、西岡さんは、今回の試みで、おそらく、御所丸織部御本説を念頭に置いている。御自身の表現スタイルの核心に織部がある以上、それが最もストレートに活かせるのは御所丸茶碗をおいて他にない。御本であるかどうかにかかわらず、織部が「古田高麗」をとおしてこの形式を愛したという意味では、十分織部好みともいえる。その試みは、だから、織部が真にこの特異な形式に対峙していたならどういう表現があり得たかという実験でもある。
結果はどうだったか。あくまで私見にすぎないが、御所丸御本説には不利なようにみえる。というのも、黒刷毛は黒織部との類似から織部の関与が指摘されるが、実際に黒織部の手法で焼かれた御所丸は黒刷毛とはやはり様相を異にする。同じ形態で、かつ同じ白と黒とでデザインされていても、そこには、違うベクトルの創造力が働いているようにみえる。それは、しかし、審美的にどちらが優れているという問題ではない。御所丸という「形式」にかりに織部が向かったとしたら、おそらくは、西岡さんのこれらの作品のような茶碗が出来上がっただろうということだ。そしてそれは、厚い信仰を感じさせるというよりも、むしろよりモダンな芸術表現の領域を拓いている。それらは、織部が関与した云々の問いを越えて、現代に生まれた作品として自立している。別のいい方をすれば、この古い形式は新しい創造の受け皿にもなり得ることを、この三つの作品は示している。さらに言葉を換えれば、利休や織部が高麗茶碗から多くのヒントを得たように、その「形式」にはまだまだ汲めども尽きない可能性が秘められていることを、西岡さんの実験は証明している。
《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」
https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html
《作品情報》幅7.8㎝×奥行6.8㎝×高さ4.7㎝、共箱付、新品
《販売期限》2024年12月25日
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