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《解説》
本文でも述べたが、茶会記の記録によると、高麗茶碗が輸入された頃には総じて「カウライ」とか「高麗」の記述で登場し、今なされている分類名は存在しなかった。おそらくは、多用な形式があったものと推測されるが、高麗渡りの茶碗ということで一括してそう呼ばれていたのだと思う。名前というのは他から区別するためにあることからすれば、日本に伝わったばかりの高麗茶碗は、それまで茶の湯で使用されていた天目や青磁との差異を表す呼称があればそれで十分だった。茶人たちは唐物とは違う茶碗を使うパフォーマンスを強調したかったはずだから、同じ高麗物のなかの差異よりも、その名前がそれを伝える手段であることが何より重要だった。「カウライ」とは、すなわち、「唐物とは違う」ことを意味した。
ところが、高麗茶碗がある程度普及する16世紀の後半になると、それまでの「カウライ」に混じって、「みしま」あるいは「暦手」、「井戸」、「割高台」などが会記に現れるようになる。ということは、つまり、はじめに「カウライ」と呼ばれていた茶碗のなかにそれらはあったということで、なかでも他とは違う特徴的な造形をしていたために新たな分類名を獲得したことが伺われる。巷にある程度高麗茶碗が行き渡って、天目や青磁などの唐物との差異がもはや珍しくはなくなったので、茶人たちの眼が「カウライ」そのもののなかの差異に向いたことも原因しているだろう。
世紀の終わりに近づくと、利休などの先進的な茶人たちは、今度は和物茶碗を自ら開発することで、それによって高麗物が唐物に対してそうであったような差異を自ら演出しはじめる。この差異の追求を是とする風潮が織部の自刃で幕を閉じることになると、本文でも述べた。この動きと並行するかたちで、高麗茶碗の分類化は次第に活発になっていき、それこそ織部が切腹して徳川政権が安定期に入る頃からより細分化された分類名が生まれるようになる。時代が下剋上から太平の世へと移行するなか、差異よりも同一性を重視するモードへと転換していった様子がその動きにみることができる。(柳下季器「井戸ぐい吞み2」の解説に続く)
《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」
https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html
《作品情報》径9.0㎝×高さ4.2㎝、共箱付、新品
《販売期限》2024年12月25日
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