「高麗のほうへ」展;粉引ぐい呑み 杉本 玄覚 貞光
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《解説》
高麗茶碗が輸入されはじめた頃は、現在のように細分化された名称をもたなかった。当時の茶会記には総じて「高麗」とか「カウライ」と記されて、そのなかにかろうじて「三島」や「暦手」が散見されるのみで、そこから差別化される「井戸」が登場するのも、天正6年(1578)を待たねばならない。ちなみに、細分化された名称が会記に頻繁に記されるのは、寛永7年(1630)以降、遠州の時代になってからである。したがって、初期の「カウライ」がいずれの茶碗を指すのか正確にはわからない。そこには、斗々屋や粉引のような茶碗があったのかもしれない。
杉本師の黄瀬戸は胴紐の形をしていないので、その理由を以前直接ご本人に尋ねたことがある。すると「あれは茶碗ではないから。」というお言葉が返ってきた。確かにあれは向付で茶碗ではない。そのままの理由といえばそうだが、その言葉の裏には、どんな種類の茶碗であれそれにふさわしい定型があるとの確信がある。それは、それそのものとはいわぬまでも高麗茶碗の「形式」に近い。師がよくいう作品の「芯」を構成する形である。
杉本師にとって、高麗茶碗とはまさにこの作品のようなものを指す。「粉引」といっても、単なる粉引ではない。全体の造形はむしろ斗々屋茶碗に近く、高台周りの粗い縮緬皺や椎茸高台は通常の粉引にはない表現である。また、火の加減からか、器胎が片身替わりになっていて、胴周りの表情を豊かにし、とりわけ見込みは複雑で多彩な釉調を実現している。さらに、口縁が所謂「皮鯨」になっていて見どころをつくっている。もし「カウライ」の魅力をひとつの茶碗に集めることが可能とすれば、おそらく、このような茶碗こそがそれにふさわしい。
《参考》ぐい呑み考「王の器~高麗茶碗のフォルマリズム」
https://ameblo.jp/guinomikou/entry-12864313491.html
《作品情報》(寸法)w8.4㎝×h4.7㎝(いずれも最大値)、共箱付、新品
《販売期限》2024年12月25日迄
《お届け》共箱の御用意にお時間を要しますので、発送まで一定の期間を頂戴いたします。御注文時に作家に確認のうえお届け予定日をお知らせいたします。
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